いばらきの公共事業(歴史をたどる)

県開発公社理事長・土地開発公社理事長編②

2024.10.12

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

新開発公社ビルと茨城空港ターミナルビルについて
~茨城新聞社の入居、展望デッキ偏光ガラスの透明化~

渡邊 一夫 氏
元開発公社理事長

栗木 一男 氏
元開発公社事務局次長(当時:茨城空港ビル管理事務所長)

 開発公社では、南中郷工業団地に立地する油脂会社と共同で「おしゃれ椿」を商品開発しました。造園建設業の皆様のご協力を得て、茨城県産のツバキの実を集め、丁寧に絞ってできた美容オイルです。北茨城市出身の童謡詩人である野口雨情さんの作品「おしゃれ椿」から名をお借りしました。丸型のボトルに、ちょっとしたレトロな感じのパッケージデザインも、すべて茨城県産です。乾燥が気になる肌や髪に潤いが感じられ、アクセントに加えた県の花である「バラ」の香りも、リラックス効果があると結構評判がよかったです。現在休養中ですが、いつか復活できれば良いなと考えています。

茨城新聞本社移転 フロア改修と自家発電

茨城空港ターミナルビル デッキの偏光ガラス透明化

 今回は、開発公社が管理する新開発公社ビルと、茨城空港ターミナルビルについてお話します。
 まず、新開発公社ビルについてです。県庁舎の移転に伴い、県の外郭団体を集積して事務の効率化を図るため、またサービス施設を配置し、県庁周辺地区の利便性を向上させるため、新開発公社ビルが平成11年8月に完成しました。
 県庁舎の北側、道路を挟んで敷地面積約3 ha、建築面積4440㎡、7階建て、865台を収容できる駐車場もあり、県庁舎を補完するビルとして十分役割を果たしてきたのです。
 しかし、社会情勢の変化により、平成17年度に大幅な減損処理を行い、何とか単年度黒字を確保している状況でした。ビル自体の売却や、開発公社自身のビルからの退去も検討せざるを得ない状況に追い込まれていたのです。
 私は就任早々、ビルの経営を安定化させるにはとにかく空室を埋めることと考え、テナント入居者探しを今まで以上に頑張ってもらいました。少しでも可能性があると思われる法人・企業に、入居の働きかけを行ったのです。
 みんなの努力で、少しずつ空室も埋まってきている頃、開発公社としてはとても嬉しい話をいただきました。水戸市の街路事業により、北見町にある茨城新聞社の本社屋が移転することになり、新県庁舎に近い新開発公社ビルも移転先候補の一つになっていたのです。
 何点か課題はありましたが「茨城新聞社さんに入居いただけるなら」と、みんなで知恵を絞りながら頑張りました。茨城新聞社は大所帯、開発公社ビルの1フロアすべて必要ということです。入居テナントさんに移動していただいて、空室をまとめて対応しようとも考えましたが、かなり無理があると思われました。
 そこで、公社ビルの3階はすべて会議室となっていましたので、思い切ってこのフロアを改修し、入居いただくことにしたのです。逆に、いくつかの空室を会議室に衣替えして対応しました。駐車場不足については、県有地3000㎡を長期に借り受けることで解決しました。再建中であり、買い取る余裕はありませんでした。
 せっかくの機会ですので、緊急時のための自家発電設備も設置することにしました。地震災害などで停電しても、茨城新聞社が新聞発行できるように、また緊急時にも強い開発公社を目指し、判断したのです。
 こうして、茨城新聞社さんに無事入居いただけることになりました。結果的に空室もほとんどなくなり、公社ビル経営も軌道に乗り始めたのです。
 次は茨城空港ターミナルビルについてです。茨城空港は、開港当時は苦戦していましたが、今では航路も増え、賑わいを見せています。ターミナルビルは県の要請により、建設費全額を県から借り受けて、開発公社が建設・運営を行っていました。
 私も就任後、時々ターミナルビルを訪れ、どうしたらより魅力的になるのか考えていました。最初に手掛けたのは、コンビニエンスストアの誘致です。いろいろ誘致に努めた結果、「JALUX」さんに協力いただけることになり、急ぎ工事を進めました。これは、利用者の皆様に大いに喜んでもらえました。
 ターミナルビルもだんだん賑わいを見せるようになり、ロビーも手狭になったので、思い切って拡張工事を進めました。何といっても、見学者の皆様に喜んでいただけたのは展望デッキの偏光ガラスを透明化したことかと思います。百里飛行場への配慮だったのでしょうか、展望デッキの偏光ガラスで「飛行機が見えない」などの苦情が寄せられていました。
 県はじめ関係者の皆様のご尽力により、防衛省との協議がやっとまとまり、ターミナルビルを管理する開発公社が急ぎ透明ガラスに取りかえることにしたのです。監視カメラなどをつけることが条件でしたが、すぐに対応しました。カメラを持って展望デッキに来られる見学者の皆様には、本当に喜んでいただけました。
 ターミナルビルで実施した仕事は、皆様に喜んでいただけることが多く、私にとっても嬉しい思い出です。

栗木 一男(くりき かずお)
 1961年12月26日生まれ。62歳。89年に茨城県開発公社に入社し、いこいの村涸沼に配属となった。その後は、施設管理課長、茨城空港ビル管理事務所長などを経て、2022年3月に事務局次長で定年を迎えた。現在は茨城県開発公社の執行役員を務めている。

 私は平成元年、開発公社に採用され、様々な事業に携わってまいりました。今回は、特に私が大きく関わった新公社ビルと、茨城空港ターミナルビルについてお話します。
 まずは新公社ビルについてです。茨城県開発公社は、県庁舎の移転前、水戸市大町の自社ビルで業務を行っておりました。県庁舎の移転に伴い、開発公社も新県庁舎北側に新たなビルを建築しました。飲食店、書籍店、眼鏡店、銀行、貸会議室、オフィス、そして駐車場を備えた複合ビルとして、業務を行っております。
 オープン当初、飲食店は中華料理店や回転すし店など4店舗が営業し、活気に溢れておりましたが、飲食店や銀行の退去が相次ぎ、ビルの賃貸料収入が減少して、経営を圧迫しておりました。
 ちょうどそのころ、茨城新聞社さんが移転先を探しているとの情報をいただきました。入居の面積条件に対応するため、当時の渡邊理事長の英断で、3階フロアの会議室を事務室用に改修し、災害時の電力供給のため自家発電設備を新たに設置しました。これらの条件で、茨城新聞社さんに入居していただいたのです。
 こうして、不安定な会議室の賃料収入から固定の事務所賃貸料収入となり、ビル収入の安定化が図れました。また、当時は10室以上の空室があり、入居率は7割程度でしたが、トップセールスでテナント誘致を積極的に行っていただいた結果、㈱茨城新聞社さん、田辺三菱製薬㈱さんなどが入居し、100%に近い入居率を達成することとなりました。
 現在、新公社ビルは建設後25年を経過し、大規模な修繕が必要な時期となっておりますが、おかげさまで近隣のテナントビルと比較すると、高い入居率を保っている状況です。引き続き、安定経営のため積極的なテナント誘致活動を行っていきたいと思います。
 次に、茨城空港ビルについてです。「もっと気軽に、もっと自由に、新しい空の旅を楽しんでもらおう!」をコンセプトに、コンパクトで航空会社に優しいビルとし、他の空港ビルと異なるLCC(ローコストキャリア)対応のビルとして県と共に建築しました。
 コンパクトなビルとしたことから、少ないスペースで国内・国際の旅客を収容するため、搭乗待合室に可動式間仕切り設置や、ボーディングブリッジを設置せず歩いて航空機まで搭乗する方式など、極力コストをかけないビルとしました。このことから、CAPAという航空関連シンクタンクから日本ではじめて「Low Cost Airport of the Year 2011」を受賞することとなりました。
 茨城空港は開港して15年目となりますが、開港当初20万人程度だった旅客数は、昨年度には国内・国際合わせると75万人となり、順調に推移していると思われます。しかし、これまで様々な困難にも直面してきました。開港当初、国際線増加時期、コロナ期間、そして回復といった時期に分けられると思います。
 まず、開港当初ですが、開港前就航が決定していたのは国際線のアシアナ航空の定期便1便のみで、国内定期便が全く飛ばない非常にまれな空港でした。開港後にはスカイマークの神戸便が決まり、さらにゴールデンウィークにはHISが日本航空、中国東方航空、しんせん航空などチャーター便を運行し、多くの方々に利用されました。
 その後、国内線においてはスカイマーク札幌便の就航、国際線はコンチネンタルミクロネシア航空、マカオ航空、復興航空の台湾便など続々国際チャーター便が運行され、さらに国際定期便は春秋航空が週3便運航していただき、国際空港らしくなったと感じたのはこの頃でした。
 しかし、3月11日の東日本大震災により、国際線が全便運休、アシアナ航空はその後完全に運休、次年度に復興航空で予定していたプログラムチャーターが中止になるなど、多大な影響をうけました。このような中、春秋航空には週3便を週5便に増便していただき、大変感謝したことを思い出します。国内線は、季節定期便(7~9月)ですが、スカイマーク那覇便が運行し、更に利便性がアップし、沖縄が身近に感じられるようになりました。
 施設整備においては、展望デッキの偏光ガラスにより航空機の離発着が見られないと残念がる声があり、改修を求められました。関係機関の方々の協力や渡邊理事長の決断により、透明ガラスに変更することができ、離発着する飛行機の様子や、搭乗する方々の嬉しそうな顔、航空機のパイロットの笑顔までもはっきり見えるようになり、大変喜ばれたものでした。
 国際線の増加時期ですが、国際線はこれまで運航していた春秋だけでなく中国南方・中国国際・Vエアーなどが定期便として運航し、国際チャーター便は、ベトナム・台湾・韓国などが運航したため、国際線出発ロビーが旅客でいっぱいという状況となりました。
 このため、国際線出発ロビーの拡張工事や、要望の高かったコンビニエンスストアの誘致、空弁の企画販売など行った時期でもあります。コンビニオープンの際には(JALUXとサークルKサンクスのコラボ店)、入居していたテナントさんとともにリニューアルオープンとしてイベントを行ったことが、つい昨日のことのように思い出されます。
 また、フジドリームエアラインさんの稚内便をはじめとする北海道や離島へのチャーター便が運航され、一生行かないのではと思えるような離島へも旅行できるようになったのもこの頃でした。
 このように、右肩上がりに伸びてきた利用者数は、あることで一変してしまいます。世界的な新型コロナウイルス感染症の流行でした。まず国際線中国便の運休、そして国内線の減便さらに運休、このような状況下の中、ビルも閉館せざるを得ない時期もありました。
 しかし令和3年6月に、常磐自動車道石岡小美玉スマートインターチェンジから茨城空港までの約12・6㎞区間の全線が供用開始したことや、ウイルスが5類感染症に移行したことで、昨年度の国内線の利用者は過去最高の70万人を記録いたしました。
 今後は、中国定期便の再開が待たれるところですが、現在、国内線定期便の直行便は札幌・神戸・福岡・沖縄に運航し、乗継便は、宮古、長崎、鹿児島に運航しており、国際線定期便は台北に、チャーター便は高雄に運航しております。
 茨城空港は、駐車場から航空機まで最短100mほどで乗り込める非常にコンパクトで使いやすいビルです。今後も空港を利用する皆様のため、更なる利便性向上を、関係機関の皆様と協議し、より良い空港を目指したいと思います。皆様のご利用をお持ちしております。

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