いばらきの公共事業(歴史をたどる)

県企業局長・企業公社理事長編⑧

2024.09.14

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

企業局の危機管理について
~施設の耐震化と経験力や技術力の継承~

渡邊 一夫 氏
元県企業局長

中島 敏之 氏
元県企業局長

管路320㎞を10年で耐震化

 つくば市北東部の上境に、公共用としては県初の「つくばヘリポート」があります。敷地面積は約3・1 ha。平成3年に開港しています。東京までの飛行時間は約20分。防災、警察等の行政用途の他、航空写真撮影や報道ヘリコプターなどの着陸地として利用されていました。このヘリポートの管理は、格納庫事業も含めて企業局が行っておりました。私は土木部、企画部時代、このヘリポート建設に大いに関わったため、懐かしい場所なのです。今回は、東日本大震災の応急復旧の目鼻がついた後、震災の教訓を受け、特にみんなで頑張った何点かについてお話をし、企業局長・企業公社理事長編を締めさせていただきます。

県OBの経験力「災害時協力員制度を設立」

 最初は、災害査定についてです。企業局では、今回の震災まで大きな災害を受けた経験がなく、災害査定などの手続きについても初めての経験でした。
 震災経験のある自治体の事例調査や情報収集に追われましたが、職員の皆さんが本当に頑張ってくれました。事務所と連携し、実際の災害査定、補助申請手続きについても、不慣れなため苦労したようですが、何とかやり遂げてくれました。
 結果としては、国から災害対応に高い理解が示され、申請した工事の大部分が採択いただけたのです。通常の補助率は1/2または1/3ですが、今回の補助は8/10~9/10と、高い補助率が適用されました。職員の頑張りで、企業局の経営への負担を最小限とすることができ、大助かりしたのです。
 次は、非常用発電設備の導入についてです。地震の直後、11浄水場のうち10浄水場が停電し、遅いところでは復電に3日もかかってしまいました。停電していては何もできません。復電して初めて水を送る段取ができるのです。
 この問題を解決するため、局内で検討を重ね、浄水場に「自家発電設備」を導入することにしました。手始めに、鹿島コンビナートの企業群に工業用水を送っている鹿島浄水場と、那珂川左岸地域の企業群に工業用水を送っている那珂川浄水場の2箇所に設置することにしました。さっそく予算化し、平成25年、26年には完成しています。
 夏場の電力不足の一助として緊急に整備した、水戸浄水場の1000kWの太陽光発電設備(メガソーラー)も蓄電が可能となれば、充分に自家発電設備として使えると考えました。
 3番目は管路の耐震化計画の見直しです。従来は、液状化の危険度が特に高い約30㎞を随時耐震化する計画でしたが、対象エリアを大幅に拡大し、液状化などの被害が懸念される延長約320㎞の管路を概ね10年で耐震化することにしました。
 さっそく平成24年度から事業着手することとし、年間約50~60億円の事業費を新たに投入することにしたのです。実施にあたってご苦労された企業局の職員、建設業界の皆様には、深く感謝申し上げます。
 最後は補修資材の拡充と、災害協力員制度の充実についてです。今回の震災対応では、あらかじめ備蓄していた補修資材やペットボトル、給水車などが大いに役に立ってくれました。
 水道管の復旧は、補修資材の調達から始まりますが、大部分ストックしておいたので大変役に立ってくれました。
 断水しているときは、給水車とペットボトルの出番です。企業局でも、1年前から3台の給水車を用意しておきました。困っている市町村への支援はもちろん、病院の透析患者さんへの命の水もお届けできたので、本当に良かったと思いました。ペットボトルも、必要なところに届けることができました。この経験から、補修資材の備蓄を大幅に拡充したのです。
 また、震災の1年前に起きた桜川の断水事故を契機とし、緊急時に現場経験の豊富なOBの皆様にお手伝いいただける災害時協力員制度をつくっておいて、実際に現場で色々アドバイスをいただけたのは、本当に助かりました。
 この制度も、さらなる充実を図ったのです。やはり現場では経験力と技術力が必要なのです。経験力と技術力の継承が、まさに危機管理だと思っております。

中島 敏之(なかじま としゆき)
 1952年12月27日生まれ。71歳。75年に入庁し、県南農林事務所へ配属となった。その後は地方課、財政課、秘書課などに勤務。人事課長、理事兼政策審議監、総務部長、企業局長などを経て、2018年3月に退職。現在は社会福祉法人茨城県社会福祉事業団の理事長を務めている。

中継水道事業体の締結

 私は2012年(平成24年)4月、渡邊前企業局長の後任として着任いたしました。6年間、企業局長として在職しましたが、この間、所管する水道用水供給事業、工業用水道事業、地域振興事業について、公営企業管理者として経営・財務状況を的確に把握し、将来においても安定的に事業を継続していけるよう投資と財源のバランスを図っていく必要があることから、10年間を計画期間とする「企業局経営戦略」を策定しました。
 さらに、被災した施設の本格復旧と、それまでの課題等を踏まえた災害時を想定した対応、災害時協力員制度の充実と災害協定や防災訓練の拡充など強靭化への取り組み、浄水場の管理運営体制への民間活力導入の検討など事業持続への取り組み、高度浄水処理技術の実証実験など安全で美味しい水への取り組みなどに力を入れるとともに、地域振興事業により造成した「阿見東部」「江戸崎」「つくば明野北部(田宿地区)」三つの工業団地に優良企業を誘致すべく積極的に活動した結果、アイリスオーヤマ㈱やファナック㈱などの工場誘致に成功し、所有するすべての工業団地を完売することができました。
 このすべての取り組みに際し、渡邊前局長にご協力とご支援をいただき、大変心強いかぎりでした。その中でも特に、私が着任する前年の3月11日に発生した東日本大震災の経験と教訓から、渡邊前局長が強いリーダーシップで進めてきた企業局の危機管理の充実に力を入れて取り組みました。
 非常用発電設備については、日本を代表する鹿島コンビナートや国内有数の企業が立地する地域に工業用水を供給する鹿島浄水場・那珂川浄水場に加え、水海道浄水場にも設置し、管路の耐震化についても震災後に見直した計画に基づき、着実に実施いたしました。
 補修資材やペットボトルの備蓄拡充は、県域を越え周辺都県と融通し合う利用にまで拡大しました。災害時協力員制度は「現場重視、経験と技術の継承の重要性」から渡邊前局長の発想により生まれた制度ですが、制度発足時の8名から、私の在職中に16名まで拡充できました。意見交換会や研修会の機会に、災害時協力員になることを了解してくださった先輩諸氏の熱い思いや優れた技術に触れさせていただきました。
 このような中、冒頭でもお話ししたとおり、2015年(平成27年)に経営の指針である「企業局経営戦略」を策定しました。引き続き、計画的に事業を推進するとともに、災害時にも水を安定供給できるよう、設備の更新・耐震化などの「予防対策」や被災時における迅速・的確な対応に向けた「危機管理体制の強化」に取り組みました。
 この危機管理体制の強化の取り組みの一つが、東京都水道局と茨城県企業局の間で2014年(平成26年)に締結した、全国初の事例である「中継水道事業体としての活動に関する覚書」の締結です。
 中継水道事業体とは、東日本大震災での被災地支援の際、現地に入った応援隊が被災状況を十分に把握できず、活動の拠点も思うように決まらないなど現場で混乱が生じた反省から、日本水道協会が定めたものです。
 その役割は①遠方からの応援隊の移動に際し、車両の待機場所や応援隊員の休息場所を提供する事業体②広域災害等で被災地の状況が明確でなく、応援先を確定できない場合に、当面の目的地となる浄水場を持つ事業体のことです。東京か茨城どちらかが被災した場合、あらかじめ決めておいた中継地対象施設(場所は浄水場が中心になりますが)、その場所を当面の目的地として支援部隊が結集し、被災地を支援しようとするものです。
 首都直下型地震について、中央防災会議のワーキンググループから報告が出されるなど懸念されるなか、どのようにしたら災害時の首都・東京の水道を守れるか、茨城として何ができるか、企業局と当時の企業公社の役職員一丸となって検討し、日本水道協会の尾崎勝理事長(東日本大震災時の東京都水道局長)や東京都の吉田永水道局長と協議を重ね、覚書の締結に至りました。
 全国初の事例ですので、日本水道協会の茨城県支部長である日立市企業局とも一緒になり、双方の中継地対象施設の現地視察や毎年合同訓練などを実施し、出てきた問題点を整理しながら進めていきました。
 また、この取り組みがきっかけとなり、東京都水道局との交流も深まって、常に情報交換を行ったり年に何回かの懇親の場なども持つようになりました。2015年(平成27年)の関東・東北豪雨の際には、中継水道事業体の活動とは別なのですが、当時の東京都の醍醐勇司水道局長からすぐに電話をいただき、常総市に東京都水道局の支援部隊が派遣されるということもありました。大変、心強かったです。
 このような地道な取り組みが、危機管理体制の強化には必要なのだと思っております。(島津就子)

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