いばらきの公共事業(歴史をたどる)

県企業局長・企業公社理事長編⑥

2024.08.09

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

阿見東部工業団地と江戸崎工業団地の企業誘致について
~地域の魅力を大幅に向上させる企業立地~

渡邊 一夫 氏
元県企業局長

蓼沼 秋男 氏
元総務部調整監(当時:企業局企画経営室副参事)

 あみプレミアム・アウトレットが賑わいをみせています。圏央道阿見東インターチェンジから直接乗り入れでき、非常に利便性の高いアウトレットです。アメリカ西海岸をイメージした街並みの中に、人気の海外ブランドやカジュアルブランド、レストランなどがたくさん軒を連ねています。駐車場も広く、大きな牛久大仏なども見ることができます。私が土木部長の時、誘致に大きく関わった思い出深いアウトレットです。

阿見東部に雪印を誘致
江戸崎工業団地 コメリと10・3haの契約成立

 企業局では、水道用水供給事業、工業用水供給事業の他に、地域振興事業として阿見東部工業団地を手がけておりました。分譲面積は50・5 ha。平成9年度より造成をはじめ、平成13年度から分譲開始しました。
 私の局長就任当時、まだ約35 haが未分譲となっておりました。私は、この工業団地は圏央道阿見東インターチェンジに近く、主要地方道竜ヶ崎阿見線バイパス(いわゆる千葉・茨城道路の一部)が地区内を通っており、非常に魅力的だと考えました。
 さっそく企業誘致グループと打ち合わせを重ねていき、「圏央道の供用が見えてきた今がチャンス。今まで以上に積極的に動こう」ということにしたのです。阿見東部工業団地の魅力を整理し、銀行や大手建設会社からの情報などもいただきながら、企業訪問を続けました。
 そのような中、新宿区四谷に本社がある雪印メグミルク㈱から、関東近辺で製造工場用地を探しているという旨の情報が得られたのです。いろいろな条件があるだろうから、その辺りをより詳しくお聞きし、対応を考えるよう指示しました。
 何度も現地案内をし、その都度いろいろな条件が提示されました。難しい要求もありましたが「雪印さんに立地いただけるなら」という気持ちで内部検討し、対応したのです。私も東京の本社を訪れ、役員さんにお会いし「県としても、できるだけの応援をさせていただきますから、ぜひ当方に立地いただきたい」とお願いしたのです。
 こうして何十カ所もあった候補地から、だんだん絞り込まれ、結果的に我が工業団地に立地いただけることになりました。4区画まとめて11・4 haの商談がまとまり、現場は大忙しになったのです。
 横浜チーズ工場(神奈川県)、厚木マーガリン工場(神奈川県)、関西チーズ工場(兵庫県)の各工場を集約し、圏央道などインフラが整備された物流の利便性も高い阿見町に、工場を建設していただいたのです。
 次は江戸崎工業団地についてです。これは、粗造成が済んでいた団地を知事部局から引き継いだものです。圏央道稲敷インターチェンジから約1・5㎞と近距離にあり、インターチェンジの工事も見えてきていたため、早く分譲を開始したい団地だったのです。
 さっそく現地踏査を何度も行い、新しくインターアクセスとなる県道江戸崎新利根線バイパスから直接出入りできる地区内道路を新たに計画するとともに、本造成に取りかかりました。
 同時に、企業誘致の動きを活発に行ってもらいました。企業誘致の東京本部などと一緒に、企業訪問を重ねたのです。この時、ホームセンターを全国展開する㈱コメリが新たな流通センター用地を探しているとの情報が入ったのです。相当に「安い」土地を求めているということでしたが、めげずに交渉してもらいました。
 私も新潟県の燕三条にある本社を何度も訪れ、会長さん、社長さんに江戸崎工業団地は圏央道稲敷インターに近いこと、高速道路網も充実していることなどを説明し「ぜひおいでいただきたい」と立地をお願いしたのです。なんとか分譲価格にも了解が得られ、約10・3 haの契約が成立したのです。
 契約の目鼻が立った日、思い切って担当とともに月岡温泉まで足をのばし、ゆっくり温泉につかって、おいしい食事で祝杯をあげたのが、うれしく懐かしい思い出です。

蓼沼 秋男(たてぬま あきお)
 1960年9月25日生まれ。63歳。83年4月に入庁。農林水産部農政企画課へ配属となった。その後、企業局企画経営室長、業務課長、参事兼総務課長、企画部調整監などを経て、2021年、総務部調整監で定年を迎えた。21年4月からは茨城県開発公社常務理事兼事務局長を務めている。

地元経済に大きく貢献

 私が企業局で阿見東部工業団地・江戸崎工業団地の企業誘致を担当したのは、平成21~27年度までの7年間でした。
 まず阿見東部工業団地ですが、最初に現地を見たとき、分譲面積50・5 haのうち北側の画地に3割弱の立地があり、中央部から南側画地は広大な空き地になっていたことが強く印象に残っています。
 時はリーマンショックによる平成大不況の真っ只中にあり、企業の投資意欲も減退しているなか、企業誘致をどう進めるか考えました。
 最初に取り組んだのは、当時の県企業誘致の最前線基地である産業立地推進東京本部との情報共有と、連携強化です。さらに、企業情報会社を介し、製造業を中心にアンケート調査を実施して、少しでも阿見東部工業団地に興味を持つ企業100社超をピックアップしました。すぐにアンケート調査の情報を基にして、徹底的に企業訪問を仕掛けましたが、結果は空振りに終わりました。
 その後も新聞や専門誌への広告掲載、企業訪問を重点的に実施しましたが、企業立地にはなかなか結びつかない状況が続きました。ただ、企業訪問を繰り返すうち、企業の立地担当者の多くが圏央道の整備に関心を寄せており、新たに立地する場合は阿見東部工業団地も検討対象に入ることを感じていました。
 そのような中、雪印メグミルク㈱が新たな事業用地を探しているという情報を得て、東京本部と企業訪問をしました。
 最初は、県内候補地の一つとして検討されていました。その後、企業から阿見東部工業団地の優位性が認められ、本格的な交渉に臨みました。交渉後には、すぐ渡邊企業局長に電話をして、判断を要するものには判断をいただき、スピード感のある対応に努めました。
 その結果、平成22年7月、雪印メグミルクと11・4 haの分譲契約に結びつきました。当時はまだ平成大不況の中にあり、10 haを超える契約は茨城県の他の工業団地でも無く、突出した契約となりました。
 今回の大型契約は、圏央道の供用が進んだことや、企業誘致を進めるにあたり東京本部をはじめオール茨城で臨み、従業員の雇用、住宅、町道廃道は阿見町の協力を得て進め、電力などのインフラは東京電力など企業との調整により進めたこと、とにかく多くの組織と人の協力のもと、スピード感とワンストップサービスにより進めたことで結び付いたものと感じました。
 雪印メグミルクの立地による波及効果として、新たに関連企業2社が立地し、阿見東部工業団地の誘致に大きく貢献していただきました。その後もアイリスオーヤマ㈱などの立地が進み、阿見東部工業団地は平成29年7月岩谷瓦斯㈱との契約を最後に、平成13年度の分譲開始から16年で完売しました。
 次に江戸崎工業団地です。
 江戸崎工業団地は、平成21年度に茨城県から企業局が土地の現物出資を受け入れ、造成販売をした工業団地です。平成22年8月、造成工事に着手し、平成23年6月には分譲を開始しました。
 当時、阿見東部工業団地は雪印メグミルクの立地が決まっても分譲面積の5割程度しか分譲が進んでおらず、新たに江戸崎工業団地の分譲を開始するにあたっては、圏央道効果などを視野に入れて業種を絞った企業のアンケート調査を実施しました。
 また、江戸崎工業団地は阿見東部工業団地よりも土地単価が安いこと、大区画も用意できること、圏央道に近接していることなどをアピールポイントとして、徹底的に企業訪問を実施しました。
 この時、全国展開しているホームセンターコメリが東関東の物流拠点を探している情報を得て、誘致交渉に臨みました。
 半年ほど様々な調整を重ねていった結果、平成23年12月、コメリの物流を担う子会社の北星産業㈱と、10・3 haの分譲契約を締結しました。江戸崎工業団地の分譲面積は29・5 haであり、初めての分譲で1/3が売れたことは、職員にも大きな自信となり、士気の向上にも繋がりました。
 その後も、婦人靴販売の㈱ダブルエー、住宅用建築資材等を製造する城東テクノ㈱との契約が進み、令和4年1月の㈱SHOEIとの契約を最後に、分譲開始から11年で完売しました。
 阿見東部工業団地、江戸崎工業団地が完売した結果、両団地合わせて1800人を超える雇用が生まれ、さらに企業における大きな設備投資などが阿見町、稲敷市の地元経済に、大きく貢献しています。
 私は企業局における7年間で、延べ700社を超える企業訪問を実施し、多くの人と面談をしました。その中で特に感じたことは、立地する企業にはタイムスケジュールがあり、それを満たさなければ当然契約することは敵わないということです。
 その点、企業局は企業誘致から造成工事、水道や工業用水のインフラまで一貫して担っていることから、企業との交渉結果について、すぐに対応できたことが誘致に繋がったと思います。
 また、私は今でも当時立地した複数企業の方々とお付き合いをしており、自分にとって大きな財産となったことに大変感謝しております。

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