県企業局長・企業公社理事長編⑤
2024.07.27
いばらきの公共事業(歴史をたどる)
県中央水道事務所(水戸、涸沼、那珂川浄水場)について
~1000kW太陽光発電設備を緊急整備~
渡邊 一夫 氏
元県企業局長
谷澤 肇 氏
元企業局施設課技佐兼課長補佐
那珂川は、関東随一の清流として知られています。那須岳山麓を源流とし、流域には自然が多く残されており、中流域は那珂川県立自然公園に指定され、保護されています。アユをはじめ、たくさんの魚が生息し、江戸時代からサケの遡上する河川として知られていたようです。この那珂川と、霞ヶ浦、利根川の水を互いに融通し合う霞ヶ浦導水事業が進められています。那珂川は私にとって、土木部時代にいろいろ関わりがあった、思い出深い河川です。
1000kWの太陽光緊急整備
大震災で備蓄補修資材が役立つ
県中央水道事務所は、那珂川から取水している水戸浄水場、涸沼川から取水している涸沼川浄水場が、10市町村(水戸市、ひたちなか市、常陸大宮市、那珂市、かすみがうら市、小美玉市、茨城町、大洗町、東海村、笠間市)と湖北水道企業団(石岡市、小美玉市)に水道用水を供給しています。また、那珂川から取水している水戸浄水場、那珂川浄水場が、ひたちなか市、常陸大宮市、那珂市、東海村に立地する20社24事業所に工業用水を送っております(平成20年4月現在)。
私は局長就任早々、この事務所の工業用水について、那珂川右岸ルートの検討に入ることとしました。県央工水は、平成13年に給水を開始し、那珂川左岸地域における工業用水の需要に対応してきました。一方、那珂川右岸地域では、北関東自動車道の整備が進むにつれ、大幅な企業立地が見込まれていました。これら立地企業の水需要に、急ぎ対応する必要があると考えたのです。
課題の那珂川渡河は、土木部時代に私も関わった那珂西大橋(仮称)に添架することで調整を進めてもらいました。県が進めている茨城工業団地をイメージして、ルートの選定や必要な測量調査なども実施したのです。
また、東日本大震災では、この事務所管内でも大きな被害を受けてしまいました。ここでも、あらかじめ備蓄していた補修資材が大いに役立ってくれました。
備蓄がなく取引メーカーにも在庫がないものは、製作を待つ余裕はありませんから、全国で在庫を探し、どこからでも購入することにしました。当時の交通の混乱を考え、違う場所から1個ずつ、計2個購入し、先に着いたものを使用するなど、とにかくスピードを優先して対応したのです。
道路の被害が大きく、現位置での復旧が難しいところは、地上配管による仮復旧を行い、本復旧は道路復旧に併せ、後日行うという方針で進めました。
最後に、私にとって特に思い出深い話をさせていただきます。応急復旧の目鼻がついた後の話です。
県中央水道事務所の敷地に、1000 kWの太陽光発電設備(メガソーラー)を緊急整備したのです。震災後に訪れた夏季には、国内で深刻な電力不足が生じることになりました。このため、国では電気事業法に基づいて、電力使用企業に対し、前年の最大使用電力に対して15%の電力使用制限を義務づけたのです。
この時、上水道、工業用水道などライフライン施設については5%でよい旨の軽減措置がありました。企業局が所管する11浄水場の前年度使用最大電力の合計は約1万4600 kWで、これは県が管理する施設全体の約3分の1の量を占めていたのです。
これらの状況の中、企業さんたちだけに負担はかけられません。我々も15%削減を目指して頑張ることにしたのです。昼の需要ピーク時間帯の電力を、工夫して夜間にまわすのです。各浄水場で何度もシミュレーションして、なんとか目標達成できそうだということになりましたが、念のため5%カットに見合う1000 kW太陽光発電設備を整備することにしたのです。3月末頃の話です。
急ぎ、夏場までにメガソーラーが設置可能なメーカーさんを見つけるため、電話聞き取りを行いました。どこからも断られている中で、地元の「日立さん」がやってみましょうということになったのです。結果的には、水戸浄水場で1000 kW太陽光発電設備を7月14日から本格稼働し、電力需要がピークを迎える時期に大きな効果を発揮することができました。15%カットどころか、平均21%、最大26%のカットができたのです。
実施にあたって、ご苦労された企業局の皆様、関係された皆様に、改めて深く感謝申し上げます。
谷澤 肇(やざわ はじめ)
1951年12月1日生まれ。72歳。72年に入庁。土木部での勤務を経て、企業局施設課技佐兼課長補佐で2012年3月に定年を迎えた。その後は県企業公社に勤務、現在は勝田機材㈱に勤務している。
コストより初動の早さ
私は昭和47年の入庁以来、土木部一筋で勤めてきましたが、平成22~23年度には企業局施設課で勤務し、定年を迎えました。2年間という短い勤務期間で印象に残っていることは、やはり東日本大震災です。そこで、この災害復旧について、特に私自身何度も現地調査を行った、県中央水道事務所管内の状況についてお話しします。
この地震により、県内全域の水道施設に甚大な被害が発生しました。県中央水道事務所管内でも同様で、広範囲にわたり大きな被害を受けてしまいました。住民の生活に欠かせない水道水はもとより、工業用水についても国内外のサプライチェーンを支える部品生産企業が受水しており、経済界に大きな影響が出るため、特に早期の復旧が必要となったのです。
そこで、当時の渡邊企業局長の指示により、企業局次長を県中央水道事務所災害対策本部長に任命しました。水戸浄水場内は次長、場外については県中央水道事務所長が陣頭指揮をとる2班体制とし、迅速な災害復旧が行える体制を構築したことで、早期に送水を再開することができました。
県中央水道事務所管内の被害状況ですが、水戸浄水場では取水口や場内管路及び補給水槽の破損、送水管路の亀裂や継手部離脱、加えて一級河川那珂川を渡河する那珂川水管橋管路離脱が発生しました。涸沼川浄水場においては、場内及び場外の管路破損等が発生。那珂川浄水場でも、沈殿池や傾斜板破損、配水管路の亀裂や継手部離脱が発生しました。各浄水場で取水施設、浄水施設、送水施設に多数の被害が確認されたのです。
次に、災害復旧について幾つかお話いたします。
まず、那珂市下江戸における市道崩落に伴う管路流出被害です。道路自体が大きく被災したことで、既設位置での管路の早期復旧が困難でした。そこで民地を一時借地し、地上配管による仮切り回しを行い早期の送水を可能とし、本復旧は道路復旧に併せ、後日行うよう調整しました。
一方、復旧工事を実施するには、復旧資材の確保が重要になります。企業局では漏水復旧金具などの補修資材の備蓄を以前より進めており、今回の震災復旧工事でも、このことが早期の送水再開に大きな役割を果たしました。
しかし、ひたちなか市関戸における送水管の漏水は、調査の結果、大口径管路可とう管部での離脱と判明し、復旧には直管(SPφ1000 L=5・0m)が必要となりました。この規格の管は備蓄資材には無く、通常であれば受注製作管になります。当然製作を待つ時間はないので、全国的に在庫を探した結果、2箇所にあることが判明しました。けれど当時は交通網の混乱もあり、現場到着時期も想定出来なかったため、2個とも購入し先着したものを復旧工事で使用、後着のものは備蓄資材とする方針で工事を行い、早期復旧につとめました。
これは、発災時点で渡邊局長から「コストがどれだけかかっても初動の速さが一番。現場の判断を信用し、良いと思うことは全部やってほしい」「いろいろなことを想定し備えることが大切」との話があったため進められたことでした。
続いて、那珂川取水口の復旧についてですが、取水口は河川占用工作物であるため、工事施工には河川管理者である国土交通省の許可が必要でした。流水を阻害しないことや出水時期を避ける等、多くの条件をクリアするため、事務所担当者と受注建設業者が復旧工法の検討を重ね、何度も河川管理者と協議を実施し、工事を進めることができました。
余談ですが、県央広域水道、那珂川工業用水道は那珂川から取水しており、その水源の一部は霞ケ浦導水事業としているため、導水事業完成までは暫定水利権(1年更新)となっているので、事業の早期完成が望まれます。
それから、那珂川浄水場の沈殿池及び傾斜板破損復旧工事においては、災害時協力員の方にほぼ常駐の状態で受注業者を指導監督していただき、早期に復旧することができました。感謝申し上げます。
企業局では、この震災まで大きな災害の経験はありませんでした。復旧にかかる費用を国へ申請するための手続きについても初めての経験となり、災害査定等の手法についての情報収集に追われ、不慣れな作業に苦労しました。幸い、私は土木部河川課で災害担当の経験があったので、災害復旧申請について多少は支援することができました。このようにして、職員の努力が報われ申請した工事費用の大部分が採択されて、企業局の経営負担を最小限にすることができました。
さらに、この震災の経験を踏まえ「東日本大震災水道復旧の記録」が作成されました。これは渡邊局長の指示によるもので、今後の災害対応において大変貴重な資料になると考えます。
最後に、私は企業局退職後に県企業公社に勤務することとなりました。そこでの業務は、震災の被災状況を踏まえ見直された「管路更新事業化計画」に基づく管路耐震化事業を確実に進めるため、水道事務所の土木技術系職員の補助を目的とする新たな体制を企業公社内に立ち上げることでした。現在、この体制が機能し、管路の耐震化事業が着実に進んでいると聞いております。(島津就子)