いばらきの公共事業(歴史をたどる)

いばらきの公共事業 県土木部総括技監・部長編⑧

2024.04.13

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

茨城県を守る、道路の維持管理について

渡邊 一夫 氏
元県土木部長

大山 登志彦 氏
元土木部総括技監(当時:道路維持課長補佐)

道路美化へ『里親制度』の誕生

 私が水戸土木事務所で整備を進めていた、新県庁舎の周辺道路が完成間近だった頃のこと。ある会社の社長さんから「室長さん、こんなにすばらしい道路を県がつくってくれた。歩道も非常に広い。どうでしょう、私たちに県庁周りの歩道の美化活動をさせてもらえないでしょうか」と提案がありました。非常に良い話だと思い、さっそく道路維持課に相談し、ご協力いただくことにしたのです。これが、道路を里子に、住民の方々を里親に例えた、いわゆる道路里親制度のはじまりです。今では県内各地でこの里親さんが増え、嬉しい限りです。今回は、道路維持管理のお話です。

人にやさしい道づくり

 県では国道、主要地方道、一般県道、あわせて約4200㎞の道路を管理しています。この、県が管理する道路の計画、舗装、法面対策、橋梁の点検や補修、通学路の安全対策、道の駅の整備、特殊車両の通行手続きなどを行っているのが道路維持課です。
 私は道路建設課時代、道路維持課と道路建設課で連携して、いわゆる人にやさしい道づくりを進めました。
 小学校付近の通学路の整備、救急車のための病院近くの狭あい区間解消、危険な交差点の改良、屈曲部の改良など、比較的少額で、短期間で効果が出る箇所を、各土木事務所や市町村と一緒に数百箇所選定し、これを3年または5年と期限を決め、整備したのです。
 終わると、また新たな箇所を選定して実施しました。これは非常に効果があり、住民の方々にも喜んでいただきました。嬉しい思い出です。
 私は総括技監、土木部長の頃、この道路維持の関係で頑張ったことがいくつかあります。
 まず街路樹の再生についてです。街路樹も30~40年経つと、樹種によっては高木化しすぎて倒木の危険が出たり、信号や案内板が見えにくくなったりします。幹が太くなりすぎて、歩道を独占しているところもあります。桜の木などは、もう少し間隔を広くすればよかったと思ったりしていました。
 特に学園都市は、早く景観のすばらしい街にするため、育ちのよい木や、2本立の木が植えられていました。管理が大変で、苦慮していたのです。
 これらの問題を解決するため、学識経験者の方や造園の専門の方に力をお借りして「樹木の再生計画」をつくり、それに基づいて計画的に伐採や植え替えを実施しようと考えました。この考えは実行に移され、今では適切な街路樹管理が行われていると聞いております。
 次は旧道移管の話です。バイパス工事が完了し、供用開始となれば旧道は国県道としての役割を終えます。旧道は原則的に市町村で引き取ってもらい、生活道路として衣替えをしてもらうのですが、なかなかうまくいきません。多くの移管道を抱えて、道路維持課は悩んでおりました。これを何とかしなければと考え、土木部の重点事項に格上げして頑張りました。
 移管道路整備費で、後々市町村の負担が大きくならないようにすることと、移管後、問題が生じた時は、県も一緒に相談に乗ることとし、各首長さんが部長室に要望に来られた時は必ずこの話をしてお願いしました。2年間で実績もかなり上がったと思っております。この考えは、代々引き継がれているのです。
 最後は橋梁点検の話です。私が土木部長の時、ちょうど公務で九州に出張していた時だったと思います。アメリカで、橋梁の崩落事故があったのです。私は九州から、県管理の15m以上の橋梁全てを急いで点検するよう指示しました。
 県が管理する橋梁は2769橋(令和3年3月時点)、そのうち15m以上は1040橋。これら全てを点検するのは大変だったと思います。幸い、どの橋梁も安全が確保されており、さっそく議会で質問を受け、答弁したのを覚えております。
 これを機に橋梁の点検制度が確立され、1橋1橋の適正な架替時期の検討が行われ、耐震計画がつくられ、橋梁の長寿命化修繕計画へとつながったのだと思います。橋の寿命は鋼橋もコンクリート橋も概ね50年、しいていえば舗装の寿命は10~15年です。早め早めに修繕し、なるべく寿命をのばすのが今後の課題です。橋にも舗装にも、長生きしてもらうのです。

大山 登志彦(おおやま としひこ)
 1958年9月19日生まれ。65歳。入庁時には、常陸太田土木事務所に所属していた。その後は港湾課計画担当、土木部技監兼道路維持課長などを経て、2019年に土木部総括技監で定年を迎えた。

良好な道路環境を保持

 河川や港湾、道路など様々な仕事をさせていただいた中で、私が道路の維持管理業務の仕事についたのは平成10年代後半、道路維持課に転勤となった時です。担当したのは、道路の補修や防災にかかわるグループでした。転勤が決まった時は、まだ仕事の内容をよく理解しておらず、豪雨や大雪等の異常気象や地震時などの対応が頭に浮かび、とても緊張したことを覚えております。
 実際に災害等が起きた時には、建設会社の方にパトロールしていただいた情報などを土木事務所から収集し、併せて警察など交通関係機関との情報交換、道路通行止めなどの情報整理、土木部内や国土交通省への報告を、バタバタしながらも課内の全員で分担・協力し、迅速に行っていました。
 当時は、電話やファクスによるやり取りが主でした。ある程度の手法、仕様が確立していたので対応できましたが、現在では情報共有アプリを活用し、現地の写真や動画を共有するなど、もっとスマートに対応されているようです。
 また、通常の業務時に、道路を利用されている方や沿道の方などから、幅広に色々な情報を連絡していただきました。ほとんどが電話での連絡で、電話を受けた者も土地勘が無く、しかも急遽のことでしたので、周りにいた者が事務所の管内図や市販の道路地図、住宅地図などを用意してきて、何とか対応しました。いただいた情報を紙の連絡票などにより関係者と連携し、処理していたのです。こちらについても、今ではスマホやクラウドを活用した情報管理システムなどにより、確実かつ効率的に対応されていると思います。
 この頃の印象に残っていることの一つとして、道路法面の崩落があります。道路整備後の経年劣化や降雨などにより、モルタル吹付法面の崩落が連続して発生、地滑りによる道路の崩壊も起きてしまいました。
 土木事務所や地元の建設会社、沿線住民の方々の協力により、通行止めなどの安全対策がなされる一方、道路維持課には事故の報告が届きました。突発的に発生する事象であるはずなのに、なぜか休日や夜間に発生し、急遽出勤していたような気がします。
 崩壊の状況によりますが、復旧は長期に渡ることが予測されました。早期に復旧するため、調査・設計会社、国の研究機関などとともに、現地の把握や崩壊原因の究明、対策工法の検討を行いました。
 復旧工事は二次災害の恐れもあるため、建設会社には慎重かつ効率的に施工していただきました。国の支援も受け、なんとか早期復旧に繋げることができ、この時、地元の協力や関係者との連携を密に進めることの重要性を感じました。
 事故が連続して発生したことを受け、道路法面の緊急対策を実施するため、急遽法面の現地調査等を行い、対策箇所を選定しました。この際、道路危険個所の調査を定期的に行っていた道路防災総点検のカルテが非常に役立ちました。
 また、道路に係わる調査では、舗装の状態を継続して調査していた路面性状調査の結果が、効率的に修繕するための舗装維持修繕計画の策定に繋がりました。さらに橋梁などの重要構造物については、定期的な現況調査結果により計画的な維持修繕が進められ、例年行われている道路除草も、防草対策や堆積土砂撤去などの成果と併せて、その実績が蓄積されています。
 これらのデータを活用することにより、適切な維持管理が図られていると思います。さらに効率的かつ効果的な維持管理を実施するため、県が調査・設計会社や実際に作業する建設会社と連携し、地域特性などを考慮しながら包括的に管理していく手法も有効かと考えております。
 現在、仕事の関係で県内全域の道路を利用しておりますが、東日本大震災の被災を踏まえて取り組んできた緊急輸送道路のバイパスや跨線橋の整備、道路法面の強化などが進んだと感じております。今後、さらに機能を強化されるとともに、適切な維持管理により機能を保持していくことが、次の有事への備えになると思います。
 最後に、自分もあと何年自動車を運転するのか分かりませんが、安心して快適に運転することが安全にも繋がると思いますので、道路利用者の一人として、新しい技術を取り入れながら適切な維持管理をしていただき、良好な道路環境を保持されることをお願いいたします。(島津就子)

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