いばらきの公共事業(歴史をたどる)

いばらきの公共事業 県土木部道路建設課編⑩

2023.12.26

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

トンネル整備について

渡邊 一夫 氏
元県土木部長(当時・県土木部道路建設課)

羽成 英臣 氏
元県土木部次長(当時・県土木部道路建設課長)

地域の利便性、大幅に向上

 今回はトンネルのお話です。色々な調査やルートの選定、事業にむけての調整、高度な技術が必要な本体工事。どれも大変な作業ですが、トンネルが完成すると、その効果は非常に大きいものがあります。当然、路面凍結による交通止めは無くなり、地域の利便性は大幅に向上します。年の瀬となりました。道路建設課編は、このトンネルの話で締めくくりたいと思います。

 私が道路建設課に転勤してきた頃、筑波山系の2つの峠が課題となっておりました。朝日峠と上曽峠です。どちらの峠も急勾配、急カーブで、冬期の路面凍結による交通止めの問題等も発生していたのです。どうにかならないかと、毎回のように議会での質問などもありました。この解決策として、朝日トンネル、上曽トンネルの計画が生まれたのです。
 まず、朝日トンネルのことからお話します。平成8年(1996年)から交通量調査や概略ルートの検討、基本的な調査などは実施しておりましたが、筑波山の南東にある朝日峠越えのフルーツラインは、土木部所管の道路ではなかったので、整備のための条件整備がなかなかできませんでした。紆余曲折ありましたが、結果的には土浦市、石岡市の市道として計画、事業化し、トンネル建設は県が受託して施工するということになりました。
 こうして平成18年(2006年)、アプローチも含め事業化され、平成24年(2012年)に開通となりました。延長1784mの長大トンネルです。朝日峠を越えるための走行時間は10分以上短縮され、安全性や利便性が大幅に向上したのです。なお、この路線は現在、県道石岡つくば線となっております。
 次に上曽トンネルです。主要地方道石岡筑西線の石岡市上曽から桜川市真壁町山尾を結ぶ、延長3538mのトンネルです。現在工事中で、先般貫通式が行われ、2025年に完成予定とのことです。これが完成すると、県内最長のトンネルとなり、上曽峠の交通の難所が解決されるのです。
 このトンネルは、平成2年(1990年)から調査を開始し、平成7年(1995年)にルートが決定され、事業化されました。ルートについては、中腹まで現道を改良しトンネル延長を短くする案や、大幅に迂回する案など何案も検討し、現在の案になったのです。
 取付部の用地買収に着手、一部工事も施工しましたが、事業費が大きいこともあり本体工事にはなかなか着手できませんでした。
 その後、石岡市と桜川市の合併特例債をつかった事業で、県がトンネル本体工事を受託することとなり、トンネル工事に着手できたのは令和に入ってからでした。
 一方、県北では令和3年10月、北沢トンネルが開通しました。常陸太田市の下高倉町から折橋町をつなぐ、国道461号の延長1581mのトンネルです。普通車のすれ違いも難しく、大型車が通行不能だった狭あい区間がやっと解消されたのです。我々が肋骨道路として重点整備してきた国道461号が、臨海部の国道6号から大子町の国道118号まで2車線の道路で、ついに結ばれたのです。地域の生活道路として、また観光道路として大いに利用されることでしょう。
 トンネルは、整備するのは大変ですが、完成すると大いに役にたってくれるのです。

羽成 英臣(はなり ひでおみ)
当時・土浦土木事務所道路整備第二課長
1962年6月18日生まれ。61歳。入庁時期は86年で、河川課に配属となった。その後、道路建設課長、水戸土木事務所長、土木部次長などを経て、2023年3月に定年を迎えた。現在は当時の経験を活かし、茨城県道路公社の理事長を務めている。

先輩達の理想、後輩へ託す

 茨城県では、この15年の間に長さ1500mを超えるトンネル3本を手掛けてきました。幸運にも、私はこの3本にそれぞれ異なる段階で関わらせていただきました。
 まず、道路建設課で県単事業を担当していた平成8年頃の状況ですが、朝日トンネルがちょうど基礎調査に着手した時期でした。上曽トンネルは既に調査や検討も進んでおり、いつ始まるのかといった雰囲気でした。北沢峠区間については、国道461号改良計画の中で、トンネル構想について話し合っていた程度でした。
 トンネルの事業化で最もネックとなるのは、事業費だと思います。当時も、2車線の山岳トンネルは1㎞当たり30億円かかると言われていました。そのうえトンネルの掘削は、24時間作業が出来るため進捗も早く、年間数十億円の予算を続けて確保する必要があるなど、事業化はかなりハードルが高いと感じていました。
 朝日トンネルは、土浦市と石岡市が合併特例債と県の「合併市町村幹線道路緊急整備支援事業」を活用し、市事業として進めるという決断をしたことから、最も早く事業化にたどり着きました。
 平成23年度に土浦土木事務所へ異動となった私は、朝日トンネルを引き継ぎ、開通まで担当しました。24時間続く掘削工事、貫通イベント、多種にわたる設備工事の発注や工事間調整、開通に向けての警察や消防との協議や訓練など、トンネルの整備ならではの仕事に四苦八苦しておりました。しかし、担当者みんなが日夜なく頑張ってくれたことで、トンネル本体工事に着手して3年足らずの平成24年11月、無事開通を迎えられました。工事はかなりの速さで進みましたが、事業期間全体としては調査開始から17年目での完成でした。
 開通後、地元の方々に朝日トンネルについて聞く機会がありました。「つくばエクスプレスが利用しやすくなり、都内まで1時間で行けるようになった」、「いちご団地の販売所に観光客が押し寄せていて、日曜日には売るイチゴがなくなる」など、多くの方から喜びの声を聞かせていただきました。この時、トンネルのパワーを改めて感じました。
 その後、道路建設課の技術総括であった平成27年。国道461号の水府里美拡幅事業は、東日本大震災の復興関連事業に採択されたことで進捗が加速し、事業区間7・2㎞のうち北沢峠区間約2・3㎞区間を残すのみとなっていましたが、峠をどう整備するかはまだ明確に定まっていない状況でした。
 澤田勝土木部総括技監(当時)や古平祐次道路建設課長(当時)にも加わっていただき、議論を重ね、安全性や利便性、そして事業スピードを考慮してトンネル区間を最大限長くする、北沢トンネル計画を決定しました。
 それから丸6年の間、調査、測量、設計、用地買収、そしてトンネル本体工事や取付道工事を短期間でこなしていった県の担当者、関係者の皆さんの奮闘により、令和3年10月に北沢トンネルが無事完成しました。開通後の利用状況を見聞きし、大震災からの復興、そして県北振興に大きく寄与出来たと確信しています。
 上曽トンネルは早くから計画されていたものの、延長が約3・5㎞と朝日トンネルの倍近い長さであったため、事業費は100億円を超えると試算され、トンネル本体着手への大きな課題になっていました。
 両側の取付道に着手した後も、トンネル部の事業費を縮減するための検討は続けられていました。これを打開したのが、石岡市と桜川市による合併特例債と県の支援事業(前掲)を活用したトンネル着手でした。
 道路建設課長であった令和元年度には、両市から受託した2本の(仮称)上曽トンネル本体工事の発注にかかることとなりました。同年度内に本契約まで進めることが出来た2本の工事も、今年7月には貫通式までたどり着きました。計画から30年以上掛かりましたが、上曽トンネルは間違いなく開通に向けて進んでいます。
 3本のトンネルには、他にも紆余曲折が数多くあったと思います。費用を確保するため、有料道路事業の検討なども行われてきました。また、着手には大きな判断も伴います。ただ、それぞれのトンネルが開通や貫通に至れたのは、先輩たちから引き継いだ理想を、いつの時期の担当者も事業化に向けて試行錯誤し、機を待っていてくれたからだと思います。
 いつの日か、後輩たちから「霞ケ浦の2橋がいよいよ始まりますよ」と聞ける日を楽しみに待ちたいと思います。(島津就子)

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