いばらきの公共事業(歴史をたどる)

いばらきの公共事業 県土木部道路建設課編⑦

2023.11.11

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

筑西幹線道路の整備について

渡邊 一夫 氏
元県土木部長(当時・県土木部道路建設課)

永田 清一 氏
元土木部技監兼筑西土木事務所所長(当時・技監兼筑西土木事務所長)

将来の4車線化見据え進行

 私は25歳の時から3年間、境土木事務所(現・境工事事務所)にお世話になりました。初めての現場です。道路改良舗装工事や橋梁工事を担当しましたが、分からないことは勇気を出して、先輩方に教えていただきました。また、現場代理人との打ち合わせは、すればするほど良い現場ができるんだと、しみじみ思いました。本当に、充実した3年間でした。


 筑西幹線道路は北関東自動車道桜川筑西ICと古河地域を結ぶ、約44㎞の広域的な幹線道路として計画されました。県西地域の地域間交流の向上、さらに北関東自動車道と一体となっての県西地域(特に古河地域)と県央地域の移動時間短縮を目的として計画されたものです。私は道路建設課で、ずっとこの計画に関わっておりました。
 まず、整備の基本方針が決められました。
①将来の4車線化を見据えて計画し、当面は暫定2車線で整備する。
②主要地方道筑西三和線をベースに、課題の鬼怒川渡架は老朽化している現・鬼怒川大橋の架け替え工事として整備し、整備中の関城バイパスを活用する。
③関城バイパスから東側の国道294号までは、当面筑西三和線の現道を活用するが、バイパスも検討する。
④国道294号から筑西つくば線までは、すでに筑西つくば線のバイパスとして位置付けしている県西総合事務所(現・筑西合同庁舎)南側のルートを活用し、小貝川・五行川の合流点近くに新橋をかけることで調査・調整する。(合流点での渡架は非常に難しいのですが、河川協議は概ね済んでおりました)
⑤筑西つくば線から国道50号までは、筑西市の市道計画と、すでに整備されている県西総合公園脇の市道を基本に調整する。
⑥筑西市道交差点から桜川筑西ICまでは、国道50号の現道利用とし、国に4車線化を働きかける。
⑦鬼怒川大橋から西側については、筑西三和線のバイパスを検討する。
⑧古河地域についてのルートのしぼりこみを早める。
 以上の基本方針をもとに、各地域で諸々の調査・調整が進められ、まとまったところから整備が進められていきました。
 鬼怒川大橋の架け替え工事ですが、基本方針のもと諸々の調査・設計と河川協議を進め、平成15年(2003年)、橋長624m、前後アプローチを含め1100mが事業化されました。2・5mの片側歩道を有し、全幅10・5mの暫定2車線道路としての整備です。平成23年(2011年)11月、無事開通となり、歩行者の安全と円滑な交通が確保されました。
 小貝川新橋(筑西大橋)は、心配していた通り河川協議が相当難航したと聞いておりましたが、平成28年(2016年)には橋長204m、片側に3・5mの歩道を有する全幅12mの3径間連続PC箱桁の橋梁として完成し、筑西市の協力のもと進められた前後合わせて約3000mが開通しました。ご苦労された関係者の皆様には感謝、感謝です。
 古河地域では、日野自動車の進出を契機に、名崎工業団地から新4号国道まで約6㎞が古河市道として整備され、供用されております。
 国道50号は、桜川筑西IC側から4車線化工事が進められています。筑西幹線道路は、国、県、市町の連携のもと、着々と利便性を向上させているのです。

永田 清一 (ながた せいいち)
1949年11月15日生まれ。73歳。初入庁は72年で、下館土木事務所に配属となった。その後、河川課技佐兼課長補佐、河川課ダム・砂防室長などを経て、2010年に技監兼筑西土木事務所長で定年を迎えた。現在は当時の経験を生かし、中央技術㈱に勤務している。

県西地域の発展へ貢献

 私の鬼怒川大橋との出会いは、昭和47年4月、県職員に採用になって初めて配属された下館土木事務所でのことです。
 当時、現場への道中で鬼怒川大橋を渡るたび、先輩からよく聞いていた話を思い出します。今のように生コンクリートが無かった時代、この橋を架けた時の話でした。鉄筋を組む時の話や、セメント・砂利・砂・水などの材料を計量しながら、現場で練ってコンクリートを作り、打設して作った橋であることなどを聞きました。県職員に採用になってまだ一年足らずだった私は、いつか土木技術者としてこのように大きな現場に携わってみたいと、将来への夢と士気の高まりを感じていました。
 昭和35年に架橋され、そののち半世紀近くの歳月が過ぎた頃のことです。橋梁には延命対策が施されてきましたが、老朽化が進み、幅員も狭く、自動車の円滑な通行にも支障をきたし、歩道も無く、道路・河川の構造基準にも合致しなくなったことから、平成15年より筑西幹線道路として着手されました。
 その後、私が鬼怒川大橋と再会したのは平成20年、筑西土木事務所へ転勤になった時のことです。下部工事の橋脚もほぼ完成に近づいていた時でした。
 当時、上部工の発注準備をしている最中、県企業局から突然の協議があり、工業用水の送水管を上部工へ添架させてほしいという旨の話があったことを覚えております。古河市の名崎工業団地へ、日野自動車工場の誘地が急遽決まり、工業用水が足りなくなるという理由からでした。上部工の設計図書が全てできあがっていた段階でしたが、設計荷重・構造の見直しが必要になりました。担当された方には大変ご苦労をかけたことを思い出します。
 その上部工工事も、平成21年度に発注することができて、私が退職した後の平成23年11月に無事完成しました。
 鬼怒川から西側の道路ルートについて私が関わったのは、ルートを決定する前々段階のことでした。
 コントロールポイントとなる箇所の調査で、担当者と現地踏査に行ったことがあります。高圧送電線鉄塔が計画路線上にあること、連続した水田地帯であり多くの農業施設があること、道路をどう避けて影響なく通すかで担当者と悩んだことなどを覚えています。この部分も、暫定2車線で令和3年3月に開通しました。付近の道路を通るたびに、当時のことが懐かしく思い出されます。
 また、小貝川に架かる筑西大橋に関わったのは、平成20年度に予備設計を行い、平成21年度に詳細設計を進める段階で河川管理者と協議をした時でした。
 河川管理者からは、架橋位置が小貝川と五行川が合流する直下流であることから、川の流れが複雑に影響することが予想されるとの意見が出されました。橋脚は極力、河川に対し阻害の少ない構造にするとの協議結果となりました。
 検討の結果、多少重厚な橋脚構造となりましたが、長スパン飛ばすことによって橋脚の数を少なくし、河川管理者の了解を得た記憶があります。
 その後、筑西市をはじめ関係者の皆様のご協力のもと、平成28年3月に筑西大橋を含めた区間約3㎞が無事に供用開始となりました。
 この筑西幹線道路は、厳しい財政状況でありながらも、私の退職後の現在では筑西土木事務所管内で約10㎞が供用開始できました。着実に整備が進んでおり、今後さらに整備が進むことで、県と県西地域の発展に一層貢献されることが期待されています。
 この大きな事業の一端を担わせていただいたこと、大変光栄であり感謝しております。(島津就子)

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