いばらきの公共事業 県庁舎関連事業推進室編①
2023.09.09
いばらきの公共事業(歴史をたどる)
新県庁舎周辺整備について
渡邊 一夫 氏
元県土木部長(当時・県庁舎関連事業推進室長)
袖山 茂 氏
元技監兼常陸大宮土木事務所長(当時・県庁舎関連事業推進室係長)
期限が決められていて、安全・利便性はもちろん景観にも十分配慮しなければならない難しい事業を、職員の努力はもちろん、水戸市はじめ関係機関の協力、地権者様のご理解、請け負ってくれた業者さんの技術力と努力に助けられ、なんとか期限に間に合わせることができた、これはそんなお話です。
景観に配慮した難事業
新県庁舎は、林木育種センターの跡地に建設されました。既存の樹木を活用した、緑豊かな公園の中にある庁舎となっております。最上階である25階には、地上100mの眺めが楽しめる展望ロビーが設けられております。
新県庁舎の住所は水戸市笠原町978-6。約15 haの敷地は、西側に主要地方道水戸神栖線(2車線)が隣接しており、国道50号サントル千波交差点から約1・2㎞南に位置しております。また、水戸市が4車線化を進めている東側の梅香下千波線(通称さくら通り)とは、約1・7㎞の位置関係にあります。
新県庁舎の自動車交通に対応するためには、この水戸神栖線のサントル千波から約1・2㎞の4車線化、県庁の南側に面して、水戸神栖線から梅香下千波線までの1・7㎞(県庁南大通り線)に、4車線の新設道路が必要ということになったため、新県庁舎開設に合わせ急ピッチで整備を進めることになったのです。
当然、県庁の東側と北側合わせて800mの外周道路も、2車線の整備が必要です。また、まちづくりの観点から、育種センターから払い下げた残りの土地約10 haも土地区画整理事業により造成することとなったのです。
これら周辺インフラ整備は土木部所管となり、道路は公園街路課、区画整理は都市整備課が主管課となりました。その他諸々の交差点改良等は道路建設課と道路維持課がうけもち、水戸土木事務所に県庁舎関連事業推進室を設置して対応することになりました。
推進室では、買収単価の設置、補償調査、道路と区画整理の概略設計等にさっそく着手していったのです。
私は道路建設課で色々関わりを持っていましたが、平成9年3月、当時の総括技監に呼ばれ「渡邊くん、一番やりがいのあるところに転勤させるから」と内示をもらい、同年4月に3代目の県庁舎関連事業推進室長を拝命したのです。このとき、室員は私を入れて10名、このうち用地職員が4名でした。
色々な調整は概ね完了し、ほとんどの地権者さんと交渉を始めており、数件はすでに契約を取り付けてありました。しかし、「本格的にはこれからなんだ」と決意を新たにしたのです。
水戸神栖線は自動車のディーラー街であり、立派な社屋が立ち並んでおりましたが、いずれの社長さんも事業には非常に協力的で助かりました。各社さんの事情をお聞きしながら話を詰め、お盆すぎから少しずつ契約していただけるようになりました。
契約していただいた社には、急いで新しい社屋を建てていただき、旧社屋を取り壊していただけるようお願いして回りました。できることはお手伝いし、関係機関にも協力を要請して、皆さんに協力いただけたのも大きかったと思っております。
県庁南大通り線の地権者さんも同様です。色々な要望がありましたが、根気よく話し合いを進め、契約を取り付けていったのです。代替地を求める方も多く、代替地探しも大変でしたが、色々な方々の情報を得ながら1つ1つ進めていったのです。(次回に続く)
自動車交通の対応へ周辺を4車線化
袖山 茂(そでやま しげる)
1950年12月1日生まれ。72歳。入庁時期は74年、水戸土木事務所に配属となった。その後、道路建設課高速道路対策室長、技監兼潮来土木事務所長などを経て、2011年に技監兼常陸大宮土木事務所長で定年を迎えた。
開庁まで4年、事業遂行
平成11年4月の新県庁舎開庁から丸24年が過ぎました。
新県庁舎が建つ前は、林野庁所管の林木育種センターがあり、うっそうとした森のようでした。敷地内で20㎝もある松ぼっくりを見て、びっくりしたこと覚えています。開発公社が建っている場所には、樹高20mほどの立派なメタセコイアが群生していました。来庁者にも見ていただきたく、このメタセコイア群を何とか残してほしいと思っていました。今も現存しているものは、新県庁舎のちょうど中心で真北の場所にある、大きなユーカリの木が1本。今も、ユーカリの木を見ると当時を思い出します。
新県庁舎周辺道路整備事業に話を戻します。当時から時間がずいぶん経過してしまっているので、記憶違いがあるかと思います。
都市計画道路水戸駅平須線、県庁南大通り線は平成7年4月24日に都市計画決定がなされました。そして同年4月に、県庁舎周辺道路整備・土地区画整理事業を目的として、水戸土木事務所に県庁舎関連事業推進室が出来ました。
県庁舎西側の都市計画道路水戸駅平須線(国道50号バイパス~日産ディーゼル)L=1250m、W=35m(4車線、歩道7・5m×2)、地権者数76人、家屋移転戸数23戸(大規模家屋14戸)用地面積1万8700㎡、南側の都市計画道路県庁南大通り線(水戸駅平須線~市道梅香下千波線線)L=1680m、W=40m(4車線、歩道10m×2)、地権者数25人、家屋移転4戸、用地面積3万500㎡、県庁周辺土地区画整理事業34ヘクタール、区画道路1~6号線L=2005m、W=21m~12mの整備などが、主な事業でした。
当時は、開庁までの4年間で周辺道路の整備・土地区画整理を完了させるという、大変なプレッシャーを抱えながら仕事をしたことを覚えております。前半の2年で用地買収を完了させ、後半の2年で工事を完了させるという、途轍もなく大きな仕事が目の前にありました。
最初の1年目は室長、用地担当係長1名、技術担当係長1名、新規採用者1名の4名体制で始まりました。4月に着任後、すぐに年間作業スケジュールを作成し、これからの作業工程を皆で確認したことを覚えています。立ち止まっている時間はありませんでした。
5月下旬には、最初の仕事として路線測量を実施するための地元説明会を水戸駅平須線、県庁南大通り線に分け、地区公民館で実施しました。
水戸駅平須線の説明会では、大規模な商業施設が多く立地していることから、会社関係の方も多く出席されておりました。家屋移転の時期や、代替地などについての意見がありましたが、反対もなく了解されました。
南大通り線の説明会の時には、林野庁の林木育種センターに隣接した静かな地域だったこともあり、騒音、排気ガスを心配する声があったことを覚えております。
その後、測量成果に基づき道路詳細設計に入り、土地収用法の対象事業となる都市計画事業認可を受けました。7月下旬には事業説明会を実施し、設計内容の説明をするとともに用地測量のための土地の境界確認の了解を得て、年末には補償額を提示できるところまでこぎつけることができました。
平成8年には、用地担当職員も4人体制となり、本格的な段階に入っていきました。3億円以上にもなる高額な補償費については、事前に建設省との協議も義務付けられていたと思います。(島津就子)