いばらきの公共事業 県水戸土木事務所編⑦
2023.04.08
いばらきの公共事業(歴史をたどる)
「為せば成る」大洗友部線整備事業
渡邊 一夫 氏
元県土木部長(当時・県水戸土木事務所長)
小林 政弘 氏
元県土木部技監兼検査指導課長(当時・水戸土木事務所道路整備第二課長)
車道と歩道を二段階で施工
仕事は早くやった方が良いというのが私のモットーです。インフラ整備はどうせやるなら早い方が効果が出やすいと考え、期限を切って、それに向かって頑張るという方針で仕事に取り組みました。きょうお話する大洗友部線の整備事業もそんなモットーに基づいて、スピード感をもって進めたものです。
北関東自動車道友部インターチェンジは国道355号に連結されていますが、友部市街地に直結する宍戸小学校付近までの約800m区間の道路の整備が急がれていました。
この道路が開通すれば友部インターチェンジと市街地が直結し、飛躍的に利便性が向上するのは誰の目にも明らかでした。通常は3~4年かかる仕事でしたが、どうにか1年程度で仕上げられないかと考えました。
早期開通のため、地元の友部町の協力を得て未買収地の解決と関係機関との協議もとにかく急ぎました。
整備を行う上で難題となったのは、この地に奈良時代や江戸時代の住居跡があると考えられている点です。そのため、文化財調査が必要となるのですが、通例ではこの調査だけでも2~3年程度かかってしまうのです。
県の教育財団に委託するべく協議をしましたが最初は「仕事が手いっぱいで受けられないしそんなに急いではできない」ということでした。結果的には私どもの熱意や事業の緊急性を理解していただき、こちらのスケジュールに合わせて対応してくれました。
通常、道路は車道と歩道を一緒に施工するのが常識ですが、予算の関係やスケジュールの都合もあり、この時は変則的に、あえて車道のみを先行して整備し供用して、その後に歩道を整備するという二段階方式で施工しました。
ちょっと無理をしましたが、おおむね1年、平成17年の夏には立派に完成させ、素晴らしい開通式典も執り行うことができました。まさに「為せば成る」です。
関係者の皆さまには大変ご苦労をおかけしましたが、この区間は主要地方道大洗友部線の一部として、その後両側には歩道も整備され、沿道にコンビニやホームセンターが立地する立派な道路となっております。
写真① 令和5年3月27日時点 写真① 平成17年7月19日時点
写真② 平成17年7月19日時点 写真② 令和5年3月27日時点
地元の協力得て早期開通
本工事は県道大洗友部線のバイパス工事として北関東道友部インターチェンジから友部町の中心市街地を連絡する約850mの区間です。笠間市内から東京駅までの高速バス就航に伴い、友部町役場経由友部インターチェンジ区間までの狭小区間解消が急がれていました。
私が業務を引き継いだ平成16年4月の状況は用地取得率が全体の約6割であり、文化財調査は未着手となっていました。整備完了までは3~4年ぐらいかかるであろうと思っていました。
しかし、友部町から知事への整備要望があり、できるだけ早い時期に開通する目標に位置づけされました。
そのような状況から、早期開通方法を検討して車道部だけでも整備して暫定的に高速バスルートとして年内に供用することを念頭に置いて事業を進めることになりました。
早々に友部町の建設課と協議を進め、未買収関係地権者との説明会、区長との意見交換会を開き、土地提供の協力を得るための解決策を見出す検討を重ねました。
同時並行的に、県教育財団との文化財調査の実施についても協議を重ね、地権者には土地の買収前提で調査箇所の借地了解を求め、財団には調査契約を他の難航地区と当、宍戸地区の変更をお願いして、同箇所を先行調査地区に決定する了解を求めました。
併せて試掘調査をお願いし実施した結果、江戸時代の宍戸藩武家屋敷跡であることが判明。記録調査として進める方針が決定されました。その結果、同地区を先行調査地区と認め、協定締結となりました。
また、区長および代表地権者との交渉経過では、未改良の小規模田園地帯を道路が分断する形になっており、給排水が分断されること(特に排水路関係の問題)が反対の要因であることが判明しました。道路排水流末の計画見直しをするとともに田園の排水機能も考慮した兼用排水路計画を地権者の皆さんにご納得いただき、個々の地権者との交渉は町へ委託して、早期土地買収に努めました。結果、町および地権者の協力により早期に土地買収をすることができました。
本工事は車道部は基層工仕上げ、歩道部は不陸整正を行い歩行者の利用に支障がないことを確認し、高速バスルートとして暫定的に9月末に開通することができました。この整備を進めるに当たり、所長からの「貴重な助言」により町へ用地買収交渉の委託契約を締結しました。これにより町の負担軽減、町職員のやる気を駆り立てたことが思い出されます。