いばらきの公共事業(歴史をたどる)

いばらきの公共事業 県水戸土木事務所編⑥

2023.03.24

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

期待ふくらむ“茨城空港”「活躍するエントランス道路」

渡邊 一夫 氏
元県土木部長(当時・県水戸土木事務所長)

山中  博 氏
元県企業局次長(当時・旧小川町空港対策課長)

 私が水戸土木事務所長の時、“茨城空港”はまだ開港しておりません。茨城空港は百里飛行場の民間共用化により誕生した空港です。年間80万人程度の利用者が見込まれ、開港までに各方面からのアクセス道路の整備が求められておりました。この道路には本庁時代から携わっていましたが、後に開発公社で本体工事や公園工事などに関わることになるとは、この時はまだ夢にも思いませんでした。
 当時、東関東自動車道は、北関東自動車道から茨城空港北インターチェンジ(IC)までの整備が行われており、ここからのアクセスとして県道紅葉石岡線バイパスを、また、常磐自動車岩間ICから県道上吉影岩間線バイパスの整備を進めておりました。
 この他の周辺道路についても、交差点改良や歩道整備など、きめ細かく事業を進めておりました。
 こうした事業の中で思い出されるのは、現在、茨城空港線となっている約3㎞のエントランス道路です。茨城空港線は、茨城空港と県道紅葉石岡線を結ぶ道路。地元・小美玉市(当時の小川町)の協力をいただきながら、用地取得を進めておりました。
 この道路は、将来を見据えて立派な4車線道路として計画していましたが、スピード感が必要だったため、当面2車線で供用させることにしました。
 通常、暫定2車線道路は半断面をつくり、上り下りに使うのですが、茨城空港は羽田空港や成田空港を補完する首都圏第三の空港。言わば本県の空の玄関口です。
 県内外はもとより、海外からもたくさんの方々が利用することを見越して、エントランス部の見栄えを良くするためにもっと工夫ができないかと関係者で知恵を絞りました。
 そこで、まずは上り下りの外側車線と歩道をつくることにしました。内側車線と中央分離帯は後回しです。これで広くゆったりとした道路となり、心地よく車を走らせることができます。
 また、両側の沿道利用がしやすくなり、周辺のまちづくりにも貢献することができます。実際、現在は茨城空港の供用後に完成した、空のえき「そ・ら・ら」へのスムーズな出入りに役立っております。
 その反面、交差点処理や排水対策には苦労しました。交差点は広くなりすぎないようにし、排水は空いている中央部に土側溝をつくることでスムーズに流末へ持っていくようにしました。
 こうした工夫は早く完成させられるだけでなく、当面の工事費も抑えることができます。まさに関係者の努力の賜物です。
 こうして、暫定ではありますが、本県の空の玄関口としてふさわしい、とても立派なエントランス道路が完成しました。
 後日、このエントランス道路は常磐自動車道石岡小美玉スマートICまで延伸され、現在では生活道路としても、アクセス道路としても大活躍しています。
 また、茨城空港はもちろん、「そ・ら・ら」のにぎわいにも貢献しているようで、地元に喜ばれる道路となったことを嬉しく思います。 

見栄え工夫 外側車線と歩道を先行

山中  博 氏
1960年9月10日生まれ。62才。神栖市出身。1983年に県庁へ入庁し、現在の検査指導課に初配属。2004~05年、小川町(当時)の空港対策課長として出向。企業局技監兼施設課長を経て、21年3月に企業局次長で退職。

 私は2004~05年度の2年間、小川町(現小美玉市)へ2代目の空港対策課長として出向していました。当時は、百里飛行場(現茨城空港)民間共用化に向けて、関連する事業用地取得が本格化していました。
 スムーズに事業を進めるために、国事業である本体(滑走路1本増設等)工事に伴う事業説明・用地取得調整、県事業である空港アクセス道路の用地取得、開発公社事業である隣接する工業団地(茨城空港テクノパーク)の用地取得など、3つの業務について担当を分けて、昼夜を問わず事業説明や用地交渉を進めました。
 地元では以前からの自衛隊機騒音問題に加え、新たな大型旅客機による騒音、そして首都圏に近い空港整備への需要不安や地元への経済効果などの問題があります。市町村合併(06年3月)を控えた旧美野里町、旧玉里村からも多くの意見をいただき、地元の推進協議会や議会全員協議会の協力もあり、用地取得が軌道に乗り始めました。
 今でも思い出に残っているのは、茨城空港線は4車線計画であったことから、農地を所有している方々の多くの土地を分断して取得する必要があったこと、また、本体工事に必要な土地にある建物・用地取得に関する調整などに特に難航したことでしょうか。
 中でも用地取得ともに地元調整に時間を要したことがありました。それは拡張する整備地に必要となる新設の雨水調整池から河川までの間、地元管理の農業排水路を使用するため、その排水負荷や洪水被害拡大に対する不安の払拭でした。
 何度も地元説明を行いましたが、幸い河川課にいたころに携わっていた開発行為に伴う調整池設置の調整業務の経験が活き、何とか理解を得ることができたため、大きな進展となりました。
 その後も水戸土木事務所で調整池や駐車場などの整備に、道路建設課で関連道路の開通式などに携わることができ、開港に向けての一助になったのではないかと思っております。

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