いばらきの公共事業 県水戸土木事務所編②
2023.01.20
いばらきの公共事業(歴史をたどる)
水戸北インターチェンジの誕生
渡邊一夫氏
元県土木部長(当時・県水戸土木事務所長)
青沼文彦氏
元県土木部技監兼検査指導課長(当時・県道路建設課高速道路対策室室長補佐)
私は『元気』という言葉が大好きです。水戸土木事務所長時代は「茨城の元気は土木事務所から」の心意気で仕事に取り組み、一つの事業を終えた時には、事業に携わった職員皆と喜びを分かち合い、労をねぎらい、お酒を飲んだりしておりました。これからお話しする水戸北インターチェンジもその一つです。
水戸市北西部や城里町方面からの常磐自動車道へのアクセス向上、渋滞緩和などのために、水戸市飯富町の国道123号へ接続するスマートICの社会実験ができないかと考えました。
ここにスマートICができれば、全国初の本線直結型ICとなります。国道50号の渋滞を避けて水戸市の中心市街地へのアクセスが飛躍的に向上します。土木部道路建設課には高速道路対策室があり、この件についても当時の職員の皆さんが奔走してくれました。
全国発の本線直結型IC
当時はスマートICの社会実験が本格的に始まったばかりで、急がなければ他の都道府県に遅れをとってしまいます。とにかく地元の協力を得て、多少のリスクはありましたが、急いで用地の取得にとりかかりました。
用地取得につきましては、地元自治会と土地改良区にお話を通し、事務所の用地職員と工事の説明ができる技術系の工務の職員に加えて地元に精通した水戸市の職員の1班3人体制をつくり、戸別交渉にあたってもらいました。
皆で一致協力して「ここにスマートICをつくろう!」という強い気持ちで取り組むことができ、その結果、非常に短期間で用地取得が完了しました。
このスマートICの建設にあたっては、国土交通省常陸河川国道事務所、ネクスコ東日本(道路公団)、県警察にもひとかたならぬご協力をいただきました。
この地域には県の住宅供給公社が進める水戸ニュータウンがあり、ここから高速バスに乗り降りできたら素晴らしいだろうと思いながら皆で頑張りました。設計にも苦労し、非常に難しい工事でしたが、地元建設業界の皆さんに短期間で仕上げていただきました。
急いでいたため、当初は東京方面へのハーフICでしたが、2019年には立派なフルICが完成しました。先般の台風で飯富地区をはじめ多くの地域で浸水被害を受け、水戸北ICも水没してしまい、全国的にも有名になってしまいましたが、その後は見事に復旧しました。
24時間365日、地元に貢献している姿を見ると、つくづく「あの時、皆で協力して頑張っておいてよかったな」と思い返します。
青沼文彦(あおぬま・ふみひこ)1954年12月21日生まれ。68才。茨城県出身。82年に県庁へ入庁し、下水道課へ配属。道路建設課高速道路対策室室長補佐、道路維持課長、下水道課長などを務め、2015年3月に技監兼検査指導課長で退職。
2003年11月、国からスマートIC(ETC車専用IC)設置の社会実験を開始するとの発表がありました。当時、既存の高速道路に追加ICを設置するには膨大な手続きと莫大な建設費が必要で、国はSAなどを利用した低コストで済むETC利用車専用ICを設置し、将来的にはICを倍増させようと計画していました。
こうした国の動きを背景に、県では、まず常磐自動車道友部SAでの社会実験の事業採択を04年9月に受けました。そして05年7月には社会実験が始まり、06年10月に本格導入となります。
水戸北スマートICは、好評だった友部SAに続く第二弾として選定されました。
当時、私は道路建設課高速道路対策室室長補佐として携わっており、水戸ICの北にある田野PAも候補地の一つでしたが、地域に住む方々や水戸市長さん、知事さんなどからお話を聞き、地元の意向を踏まえ、水戸北スマートICの場所が決定しました。
特徴は、何と言っても全国初の本線直結型ICであること。水戸ICと那珂ICのほぼ中間に位置し、国道123号に接続します。北は城里町方面へのアクセスが良くなり、南は国道50号の渋滞を避けて水戸の中心市街地へ行くことができます。
常磐道には、将来のバス停留所予定箇所として幅員が広くなっている箇所があり、水戸北スマートICはそこを減速車線・加速車線として利用する計画としました。できるだけコストを抑えよう、と知恵を絞ったことも覚えています。
水戸IC北側の田野地区から那珂川にかけては勾配が急で、いかに減速させるかという課題も県警本部交通規制課のご指導により解決でき、05年11月に事業採択、06年9月から社会実験が開始しました。
短期間で整備が完了したのは、国土交通省関東地方整備局、常陸河川国道事務所、ネクスコ東日本、水戸市、そして何より工事に尽力していただいた建設業界の皆さまのおかげです。
初めは東京方面のみのハーフインターでスタートしたものの、社会実験開始から利用台数は順調に増加。14年7月にフルインターの事業採択を受け、19年9月から本格導入、県北方面への乗り降りもできるようになりました。
社会実験が始まったころには他の部署に異動となっていましたが、無事に完成した時の感動は今でも忘れられません。これからも安全で利用しやすく、社会の役に立つ道路整備が進められることを願っております。