県開発公社理事長・土地開発公社理事長編④
2024.11.09
いばらきの公共事業(歴史をたどる)
国民宿舎「鵜の岬」と日立市「鵜来来の湯十王」について
~料理とお風呂が自慢、計画的に客室の改修を実施~
渡邊 一夫 氏
元県開発公社理事長
塙 吉七氏
元国民宿舎鵜の岬総支配人
日立市の伊師浜海岸は、日本の白砂青松百選に選ばれており、夏場には海水浴場として賑わいをみせています。アオウミガメの産卵地となっており、保護鳥の鵜も飛来しております。近くには鵜の岬温泉があり、国民宿舎「鵜の岬」と日帰り温泉施設「鵜来来の湯十王」があります。私はこの海岸が大好きで、近くに行った時は立ち寄ったりしています。
地域の活性化に一役
今回は、地域の活性化に一役買っている「鵜の岬」と「鵜来来の湯十王」についてお話したいと思います。「鵜の岬」は県から、「鵜来来の湯十王」は日立市から、開発公社がそれぞれ指定管理者として指定を受け、管理運営しています。
まず「鵜の岬」についてです。昭和46年の開業時は、支配人を含め16名の職員で、一人4役、5役の仕事をこなしながら、お客様に喜んでもらえるよう頑張っていたという話を聞いています。
平成9年に竣工した新館は、当初5階建てで計画されていましたが、県北のランドマークにしようという方針になり、運営主体の開発公社も応分の負担をして、8階建てに変更されたとのことです。客室58室、定員204名、料理が美味しく、展望温泉風呂が素晴らしいと評判になっています。
私が開発公社の理事長になり、最初に感じたのは、「鵜の岬」は地域の方々に支えられている宿泊施設だということです。職員の心遣いが良かったこともあるかと思いますが、とにかく地域の方々の「鵜の岬」への思いが温かいのです。この頃、すでに国民宿舎として全国1位の利用率を誇っていましたが、もっと利用率を上げ、もっと地域の皆様に喜んでもらえるよう頑張ろうと、改めて思いました。
職員の皆さんの意見を聞きながら、改善すべき点を順に実施していきました。まず、配膳用のテーブルの持ち運びが重くて大変ということで、徐々に軽いものへ変更していきました。
館内のリニューアルは1階と2階のロビーから始めて、レストラン「しおさい」も大幅にグレードアップしました。秋祭りの会場にもなる芝生広場への道路の拡張、舗装と、中庭に新設したトレーラーハウスを利用したカラオケルーム(歌鵜)をオープンさせたことは、特に地元の皆さんに喜んでいただけたので、良かったと思いました。
平成26年8月には、日立市と「災害時における支援に関する協定」を締結しました。災害が発生した場合、「鵜の岬」が避難場所の提供、生活用水の提供、浴場の解放、炊き出しの提供などを行う内容です。地元の酒蔵さんの協力を得て開催した、美味しい料理と美味しい酒を提供する「利き酒会」も大好評でした。
このような中、私が一番頑張ってよかったと思ったことは、県と協議して平成28年4月から10年間の指定管理を受けられたことです。これで職員が落ち着いて仕事ができ、県に負担をかけず、収益の範囲で客室などのリニューアルを計画的に実施することができるのです。さっそく毎年5~6部屋ずつ実行していきました。もう少し収益を上げ、大規模修繕にも備えなければと考えておりました。
次は「鵜来来の湯十王」についてです。「鵜来来の湯十王」は平成13年4月に開業しています。「鵜の岬」と合わせて、県北地域の観光レクリエーションの発信基地となり、また温泉の利用による地域の皆様の健康増進と交流に役立てる目的で建てられたのです。
整備主体は地元十王町(現・日立市)、建設費は一部国の支援を受け、県が財源を手当てし、運営を開発公社が受託するスキームで進められました。鉄筋コンクリート造、3階建て、露天風呂があり、寝湯、サウナ、かぶり湯なども設置されています。売店、食堂、大広間、ゲーム機コーナー等も用意されています。
私は「鵜の岬」に出かける時、必ず「鵜来来の湯十王」にも立ち寄り、どうしたらもっと利用していただけるか、職員と議論しておりました。日立市とも協議して、改修工事は早め早めに実施しました。
職員から提案があり、私も大賛成して実施したイベントに、落語講座、ギターやマンドリンによる演奏会などがあります。利用されている皆様にも大好評だったのは、懐かしく嬉しい思い出です。
塙 吉七(はなわ きちしち)
1949年2月12日生まれ、74歳。71年、開発公社に入社。国民宿舎鵜の岬主事、執行役員兼国民宿舎鵜の岬総支配人兼いこいの村涸沼総支配人を務め、2009年に定年を迎えた。その後、開発公社アドバイザー、国民宿舎鵜の岬アドバイザー、開発公社理事などを務めた。
利用率日本一、施設に愛着と誇り
県北の景勝地、伊師浜国民休養地内の小高い丘の上に、国民宿舎「鵜の岬」は客室数31室、定員124名の県立宿泊施設として昭和46年5月1日にオープンしました。駒井初代支配人を中心に、職員が一人で4役、5役の仕事をこなしながら、県立の施設としてお客様に喜んでいただける施設づくりをするにはどうすれば良いか、皆で夜遅くまで議論を重ねたものです。
この地域ならではの良さを感じ取っていただき、一人ひとりのお客様に「来てよかった、また来たい」と言っていただけるような接客をしようと努めたところ、お泊りになったお客様から次のような新聞への投書がありました。
「主人と一緒に「鵜の岬」に泊まり、とても感動したのでひとこと。
宿舎に到着すると、フロントだけでなくどこで会っても全従業員が『いらっしゃいませ』、そして朝は『おはようございます』という、ごあいさつ。接客サービス業とすれば当たり前の言動だが、なかなか実行されていないような気がする。お客を大事にする経営方針の徹底に頭が下がる思いがする。
県営とあったが、旅館ではできない奉仕の精神を肌で感じ、楽しく思い出に残る旅になった。今まで旅行は伊豆方面と決めていたが、これからは茨城県への旅が多くなることだろう。(後略)
千葉県我孫子市 W様」
この心温まる文章は、とても励みになるとともに、心のよりどころとなりました。お客様からのアドバイスを参考に、サービス面の向上にも努め、ありがたいことにだんだんと常連のお客様も増えていきました。
昭和63年には宿泊利用率が74・2%となり、初めて全国1位になれるのではないかと関係者の期待も高まっておりましたが、実際にはトップと0・5ポイント差で2位に止まりました。この時はもちろん残念ではありましたが、マスコミに「惜しくも2位」と、期待を持って大きく取り上げていただいたことを強く覚えています。
それからというもの、全職員が一丸となって、よりいっそうのサービス向上に努めるとともに、お客様からのこれまで以上のご支援をいただいたおかげで、その翌年、平成元年には宿泊利用率が82・6%となり、全国に約300ある国民宿舎の中で利用率日本一を達成できました。
これには、地域の方々一人ひとりが営業マンとしてPRをしてくれたことも非常に大きな力になったと感じます。地域の皆さんが、旅行などで地方に行った際、「俺たちの町にはこんな素晴らしい施設があるよ」と宣伝をしてくれたのです。
さらに、運営が苦しい時には、非常に心強い応援団にもなってくれました。特に思い出されるのが、平成5年の米不足の際の出来事です。この年は冷夏からくる不作で、お客様に提供するお米の調達が非常に難しい状況でした。しかし、元日立市副市長の和田さんを中心に、地元農家さんが協力して「遠くから来たお客様に地元のお米を食べてもらいたい」と、それほど値上げもせずに地元のお米を回してくれたおかげでなんとか乗り切り、お客様に喜んでいただけました。
また、これに並ぶ出来事のひとつとして、JCO臨界事故が起きた平成11年のことも忘れられません。距離にして30㎞程度離れているにもかかわらず、風評被害により何十件ものキャンセルが相次ぎ、半数の部屋が空いてしまう事態となりました。
ところが、この時も地域の方々や常連のお客様から、「空いているなら親戚一同で泊まりに行くよ」、「当日常磐道が通行止めならば、東北道から迂回してでも泊りに行く」などとお声がけをいただいたおかげで、結果的には前年よりも多くの方に宿泊していただくこととなりました。
平成16年に十王町は日立市と合併しましたが、これにより地元の応援団がさらに増え、心強くなったことも思い出されます。さらに、日立市は群馬県桐生市と国内親善都市に、山形県山辺町とは国内友好都市になっておりますが、この交流会の際も「鵜の岬」をご利用いただくとともに、後日プライベートでもご利用いただけるようになるなど、地域を超えた応援もいただけるようになりました。
オープンから20年ほど経過した平成5年には、本館(旧館)建屋の老朽化とキャパシティ不足を解消するため、県庁関係各位のご尽力により、新館(現本館)を建設していただく運びとなりました。平成9年に完成した新館は、客室数58室、定員204名と、これまでの倍近くの規模になりましたが、客室稼働率はほぼ100%を維持し続け、多い時には年間7万人ものお客様にご宿泊いただきました。その結果、平成28年には累計利用者数200万人を達成できました。
新館建設の準備を進めていた平成7年には、温泉を掘り当てました。地下1300mまで掘削し、源泉温度46度、毎分400リットルの豊富な湯量の温泉が自噴したときは、まさに「宝を掘り当てた」と感動を覚えたものです。その後、平成13年には、その温泉を活かした施設「日立市鵜来来の湯十王」が開設され、地域がより一層賑わいました。
平成元年から35年間、コロナ禍も乗り越え、なおも全国1位を続けられているのは、お客様からの応援のおかげであることはもちろん、地域の方々や県庁関係各位がこの施設に誇りと愛着を持って接してくださっていることや、地元の方々に育てていただいた職員が、ご利用いただいたお客様に「こころのふるさと」と思っていただこうと頑張っていることなども、その一因であると思っております。
皆様の支えにより今の鵜の岬が成り立っていることに、心から感謝するとともに、感動すら覚えます。人のつながりというのは、とてもありがたいことだと思いました。(島津就子)