いばらきの公共事業(歴史をたどる)

県開発公社理事長・土地開発公社理事長編③

2024.10.26

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

開発公社が進める工業団地造成事業について
~リスクを極力少なくし、大胆に進める~


渡邊 一夫 氏
元県開発公社理事長

黒澤 一則 氏
元県開発公社顧問、参与、アドバイザー

北浦複合団地 国策受け35haに太陽光

 笠間市の畜産試験場跡地には、懸案だった雨水対策として約2haの調整池が完成しています。周りには近隣の方が楽しめるよう、防護柵で安全対策が施された散策路が整備されています。隣接して、子どもさんが楽しめる遊具を備えた小公園もあります。調整池の残土を活用し、約35haの敷地は概ね粗造成がなされています。新たな土地利用まで、銀杏並木や所々の高木もそのまま保全されています。これは、開発公社が県からの受託事業として整備したのです。

茨城中央茨城地区 宅盤切下げ再造成、残土利用も

 開発公社が進める工業団地造成事業は、県から受託して進める受託事業と、自ら行うプロパー事業に分けられます。今回は、県と協議を重ね、積極的に進めた受託事業の2団地と、リスクを極力少なくし、大胆に実施したプロパー事業の2団地についてお話したいと思います。
 まず、北浦複合団地に太陽光発電設備を設置した時の話です。平成24年当時は、国策として太陽光発電の買取制度が始まった頃です。県と公社の協議の結果、北浦複合団地の未着手地域の一部を暫定利用とし、発電設備用地として貸し出す計画がまとまったのです。
 ①貸出用地は約35ha②本格工事の前に、公募により発電事業者を決める③電力が逼迫する次年度夏場に間に合うよう進める。以上3点を共通認識として、開発公社が県から受託して進めることになったのです。
 この事業はスケジュールをはじめ、いろいろ課題はありましたが、県と公社で役割分担をして進めた結果、平成25年7月に無事発電が開始されたのです。立木の伐採抜根、暫定道路、仮排水、大がかりな造成事業、いずれも大急ぎで大変な仕事でしたが、職員の皆さんと建設業界の皆様の頑張りで成し遂げられたのです。
 11月には、4社の発電事業者が決定、工事は各社で実施しましたが、東京電力と協議し、特別高圧への連結は4社まとめて行えるよう調整しました。
 このことにより、かなりのコスト縮減が図れたと思います。こうして、容量28・4MW(メガワット)、一般家庭約8200世帯分の北浦複合団地太陽光発電所が完成したのです。関係した皆様に、改めて感謝いたします。
 次は茨城中央工業団地の造成についてです。県の進める工業団地で、茨城町地区が約176ha、笠間地区が約109haの、大規模団地です。北関東自動車道の沿線開発として進められ、私も土木部時代、いろいろ関わりを持っておりました。地区内の主要な幹線を、主要地方道大洗友部線バイパスとして土木部で整備したり、友部サービスエリアに県内初のスマートインターチェンジを設置したりしたのです。
 私が理事長になった当時、茨城町地区は大部分の粗造成が完了しており、すでに何社か立地している状態でした。しかし、宅盤を1~1・5m切り下げて再造成したほうが良い箇所が多数あり、課題となっておりました。また、笠間地区は一部河川改修が進められておりましたが、ほとんど手つかずの状態でした。
 これらを県と協議して、茨城町地区の宅盤の切り下げをする再造成工事と、その残土を活用した笠間地区の造成工事を、同時に、計画的に進めることにしたのです。また、笠間地区の不足土については、各土木事務所の公共事業の発生土を活用することにしました。
 急ぎ仕事のため、分割発注して進めたことから、出合い丁場が多く、職員の皆さんと地元建設業の皆様には大変ご苦労をおかけしたと思っております。本当にありがとうございました。
 こうして概ね5年後には、両地区とも企業さんに喜んでいただける立派な分譲地になったのです。その後、企業立地も進んでいるようで、当時みんなで頑張ってよかったと思っております。
 次は八千代町と共同で進めたプロパー事業の、八千代工業団地についてです。
 八千代町から、ゴルフ場跡地を工業団地にしてほしいというお話がありました。圏央道や新4号国道にも近く、いろいろ調査した結果、魅力ある場所だと考え、八千代町と役割分担して進めることにしたのです。
 ゴルフ場との交渉と用地取得は八千代町が行い、開発公社は企業誘致を優先し、目鼻がついたら町から用地を再取得して造成工事を進めるスキームです。面積も8haと比較的小規模で、八千代町と公社の連携も非常によく、数年後には全て立地企業が決まり、完売となったのです。
 最後は稲敷市と共同で進めた、稲敷工業団地についてです。ここは、私が企業局長時代から相談を受けていた思い出深い用地です。面積は約32ha。民間事業者が手がけていましたが、一部の用地取得が困難となり、稲敷市が引き継いだ団地です。
 稲敷市の努力により、未買収地も全て解決できたので、企業誘致を優先し、立地企業が決まったところから開発公社が造成工事を進めることとしました。ここは中央部の水路を活用して調整池をつくり、文化財は地区外として、極力自然に逆らわない造成計画で進めました。
 この団地は、期間はかかりましたが無事完売になったと聞いて、非常に嬉しく思っております。

黒澤 一則(くろさわ かずのり)
 1953年9月13日生まれ。71歳。76年、茨城県開発公社に入社。業務第1課に配属となった。その後は、用地建設部建設局建設課長、企業誘致部参事、事務局参与などを経て、2014年に定年を迎えた。現在は㈱開発計画研究所の技術顧問を務めている。

72団地2770ha分譲、雇用に貢献

 私は昭和51年度、茨城県開発公社に入社し、令和3年度まで46年間勤務しました。
 開発公社は昭和35年に設立され、今年64年を迎えました。おもに公共用地の取得・造成事業、工業団地の造成事業、福祉施設の管理運営事業、ビル管理事業、水道事業を行っています。この間、県内72団地、面積約2770haを企業に分譲し、地元財政と雇用創出に貢献できたのではと思っています。
 私の業務内容は、土地部門での工業団地設計計画及び造成工事監理監督、都市計画法に基づく開発行為等の手続き調整などでした。工業団地造成事業は、分譲までに長い期間を要し、経済情勢に左右されます。昭和60年代から平成初期までは、分譲も好調でした。
 しかしバブル崩壊、リーマンショックによる経済情勢の悪化があり、工業団地の分譲が低迷して、公社も経営合理化を図る必要に迫られていました。新規工業団地の造成工事を凍結し、早期に分譲中団地の処分を図る方針が決定されました。
 そして平成23年3月11日、東日本大震災が発生。このような状況下の平成24年7月に、公社理事長として、渡邊氏が着任しました。着任早々、各団地の概要説明と現地視察を行い、震災後の電力を確保するため、全国的に再生エネルギー用地の開発需要が多く、未利用地のある北浦複合団地を太陽光発電用地として暫定利用できるのではないかとの提案がなされました。
 北浦複合団地は県の工業団地であり、茨城県長期総合計画において、鹿行地域における戦略的プロジェクトとして位置付けられ、行方新産業交流集積拠点の形成を図り、東関東自動車道水戸線の整備を促進する目的で進められていました。
 開発面積は、1期地区111・1ha、2期地区81・6ha、合計192・7haの大規模工業団地でした。事業は平成6年度から続けられており、1期地区では道路、調整池、上下水道設備等のインフラ整備を実施してきました。
 分譲状況としては、平成12年度に9・8haを衛星情報副センター用地として分譲しておりましたが、その後の分譲は、残念ながらありませんでした。当然1期地区を優先し、2期地区は全く手付かずの状態です。団地内には送電線が走っていたため、太陽光発電用地として好都合でした。
 当初、15haほどの規模を考えていましたが、県との協議の結果、最終的には34・8haまで拡大することになりました。平成24年12月に、県での公募により、事業者4社との賃貸借契約を締結することになりました。それから5ヶ月で粗造成工事を完了させ、平成26年6月には事業者4社が発電を開始し、28・4MWの発電規模になりました。
 スケジュール的に大変厳しい状況で、担当者一同大変苦労したのが懐かしく思い出されます。また、地元の建設業の皆様には、厳しい工期の中ご苦労をおかけしました。大変感謝しております。 
 さらに東関東自動車道水戸線も着々と工事が進んでいるため、今後、北浦複合団地の企業誘致に弾みがつき、一日でも早く完成することを願っております。
 次に、笠間市にある茨城県畜産試験場跡地の相談が持ち込まれた時のことをお話します。
 平成12年、畜産試験場は八郷町へ移転となりました。跡地利用については、平成11年度の茨城県未利用地処分推進本部会議にて、地域振興の観点から、売却並びに利用方法等について、地元の意見を十分斟酌し、検討を行ったうえで売却することとなり、利用計画を検討することとなりました。
 そして平成25年10月、県において、畜産試験場跡地の整備事業は県開発公社に委託して実施することになったのです。
 また、畜産試験場跡地の北側7haの雨水排水が県道平友部停車場線交差部に集中し、一定規模の降雨の場合冠水する状況であるため、笠間市からは本地区の排水対策として、新たな排水施設の整備を求められていました。
 そのため、調整池などの雨水等の処理については、笠間市の新市町村づくり支援事業を活用し、雨水排水施設等を整備することになりました。
 畜産試験場跡地は、既存の県道と市道が中央部で馬の背のように高くなっており、北側と南側が低く、北側の排水処理が難しい状況であったため、周辺地区の現地調査を何度も行い、既存計画を見直すことにしました。
 最初、調整池の位置を地区南東から地区中央に変更し、地区北側排水は新設する排水管を利用し調整池に流入させ、調整池から土地改良区水路への放流を市道側溝へと変更しました。
 これにより、調整池下流の住民の不安を解消することができるとともに、調整池に流入する大口径連絡水路の施工延長も短くすることができ、大幅な工事費の削減につながりました。調整池の面積は2・9haから1・8haに、滞水容量は11万2000立方mから6万2000立方mに縮小となり、工事費も1・7億円程度削減することができました。
 調整池等の雨水排水処理施設は、平成29年2月、約2年余りで完成しました。これにより冠水状況はかなり改善されたと思います。
 また、団地中央部に調整池と公園を配置し、周囲には遊歩道を整備して、環境にも配慮しました。畜産試験場跡地の面積は、A=34・3ha、産業業務用地は北街区A=15・3ha、西街区A=9ha、東街区A=2・8ha、その他調整池及び公園等の公共公益用地A=7・2haです。
 産業業務用地北街区は、今回の調整池の掘削土13万4000立方mを利用して粗造成を行い、宅内排水は連絡水路を活用して処理しました。中央部にあった銀杏並木は、当面そのまま保存することにしました。
 また、平成27年からは、市町村と連携した工業団地造成事業を展開する方針を打ち出しました。しかし面整備には農地が含まれることが多く、公社では農地転用が難しく、適地調査を実施してきましたが、断念せざるを得ないこともありました。このため、地元市町村と連携を図り、計画、用地買収等の諸問題を解決しスケジュール短縮を図るため、地元市町村から職員を派遣してもらうことにしました。
 農地問題を回避するため、なんとか県事業にしていただき、工業団地造成事業を行うことになりました。その中で、渡邊理事長から2点の指示がありました。1点目は、事業決定するまでに区域内地権者全員の賛成を得ること、2点目は、月に数回市町村と連絡調整会議を開き、関係者全員参加で情報の共有を図ること。これにより事業がスムーズになって、スケジュールを6カ月以上短縮することができました。
 また平成29年7月には、連絡調整会議の中で経済産業省所管の「地域未来投資促進法」が施行され、農地問題が解決できるのではないかとの意見が出されました。検討・調整した結果、筑西市内において県内第1号案件となる工業団地造成事業を開始することができました。
 この市町村連携により、渡邊理事長の在籍6年間で、公社のプロパー工業団地は筑西市3地区60・1ha、稲敷市1地区32・5ha、八千代町1地区8haを開発することができました。
 最後に、開発公社の工業団地造成事業に対し、地権者、県・市町村、測量・設計コンサルタント、工事関係者等多くの皆様に協力して頂いたこと、この紙面をお借りして厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。(島津就子)

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