茨城の歴史点描59 小学校の記録にみる関東大震災
2023.10.07
茨城の歴史点描
茨城県立歴史館史料学芸部 特任研究員 永井 博
歴史館は博物館であるとともに、さまざまな記録を保管、公開している文書館という側面もあります。そうした役割を広く紹介するために、現在「アーカイブズの部屋」と題した展示をしています(十月二十九日まで)。
そのなかで、友部尋常小学校(笠間市立友部小学校)の「校務日誌」をパネル展示で紹介しています。歴史館では、こうした教育に関する資料を、県下各小学校から一時的にお借りして、マイクルフィルムに撮影して収集、公開するという事業を継続的に行っています。
この資料もその一つですが、そこには学校の日常だけではなく、社会的な事件に関する記録もみられます。今回は、ちょうど百年前の大正十二年に起きた、関東大震災に関する記録の紹介です。
さて、震災発生後の記述をみてみましょう。
九月一日 第二学期始業式挙行、午前十一時五十八分強震頻リニ来リ、時計止リシモ他ニ異状ナシ、土浦神立間汽車転覆シ死傷ノ報来ル
九月三日 一日来ノ稀有ノ強震ハ東京横浜地方最モ被害多ク、大部分倒壊後火災ヲ出シ、東京横浜ハ大半焦土ト化シ、死傷十万以上ニ達ス、罹災民ノ地方ニ逃レ来ルモノ多ク、鉄道院ハコレ等罹災者ニ無賃輸送ヲナス、当駅ヲ通過スルモ車内ニ充満セリ、当友部青年会ノ活動著シク直チニ炊出シヲナシ罹災民ノ救助ヘ奔命セリ
九月四日 罹災民ノ避難益々甚シ、当地消防青年団ノ活躍目覚シキモノアリ
九月六日 東京罹災民ニ対シ救恤品ヲ集収セリ(蔬菜、白米児童一人五合ヅヽ)
友部地域でもかなりの揺れがあったことが分かりますが、幸い被害はなかったようです。時計が止まったのは、おそらく振り子時計だったからでしょうか。常磐線の列車転覆事故は、正確には土浦駅と荒川沖駅間の路盤陥没によるもので、死者八名重軽傷者四三名の事故でしたが、ラジオ放送すらない当時、不正確ながらもこうした情報が当日中に、事故地から離れた小学校にもたらされていることに驚きます。
三日、四日の記述からは、避難民に対する炊き出しなどの救援活動に青年団などが中心的な役割を担っていたことがわかります。同時に常磐線が事故からわずか三日で開通したこともわかり、関係者の不眠不休の努力を想像することができます。
六日には、被災者に対する、米や野菜などの救援物資を児童たちから集めています。おそらく地元に避難してきた人々に対するものと思われますが、学校でも総出でこの大きな災害に対処したことがわかります。