茨城の歴史点描51 水戸藩主の領内巡視
2023.05.25
茨城の歴史点描
茨城県立歴史館史料学芸部 特任研究員 永井 博
前回、水戸藩主も数は少ないながらも参勤交代をしていた、というテーマで書きましたが、藩主が国元に入った時に領内を巡視することがありました。今回は、七代藩主徳川治紀(はるとし)が、文化六年(一八〇九)に領内北部の村々を巡った時の様子をみてみましょう。
文化三年(一八〇三)、三三歳で藩主となった治紀は、この年の三月、初めて水戸の地を踏みました。そして九月十八日に水戸城を出発します。藩主の巡視は二代光圀以来のことでした。
一行は藩主以外に三六〇人という大人数で、家老や奉行、目付をはじめとする藩士とその家来、賄方や医師、藩に仕える茶人や藩主の身の回りの世話をする坊主、雑用に従事する中間などまで同行していました。長倉村(常陸大宮市)に宿泊した時には、藩主は庄屋宅に、そのほかは寺院や宿、一般農民宅など三三軒に分宿しています。
行程は、まず久慈川に沿って北上していきます。鴻巣村(那珂市)の宝幢院で休憩をとりますが、ここで福田村と鴻巣村の農民二人が藩主に謁見する機会(お目通り)を与えられました。ともに九〇歳を超えていることから、長寿者への褒賞という意味合いのようです。そして、一行は部垂村(常陸大宮市)で宿泊しますが、藩主の旅館となった西方寺門前には、やはり九〇歳を超えた農民二人と孝行、貞節という名目で各一人が呼ばれて藩主にお目通りしています。
次の日、一行は山方村の常安寺、八田村の郡奉行所で休憩をとりますが、それぞれ近隣村々の長寿者にお目通りをさせています。その後、一行は再び部垂に戻り宿泊した後、今度は那珂川方面に向かいます。途中小野村(常陸大宮市)で昼休みをとり、例によって長寿者のお目通りがありましたが、うち下江戸村(那珂市)の農民次郎平の母はるという女性は百歳とあります。この日は長倉村(常陸大宮市)に宿泊しました。
その後、鷲子村(常陸大宮市)をへて馬頭村(栃木県那珂川町)に宿泊、大子方面に向かい八溝山に登り、町付村(大子町)に宿泊、袋田瀧を見て、小生瀬村、天下野村(大子町)に泊まり、棚倉街道を水戸に向かい、途中大方村(常陸太田市)で宿泊して水戸城に戻りました。 計八泊九日、距離にして五〇里(約二〇〇キロメートル)という大移動でした。迎える村々の準備も大変なものがあったと思われますが、水戸藩の場合は、久しぶりの巡見だったため、藩主と領民が接する貴重な機会となったことも事実です。