茨城の歴史点描㊼ 「仁風閣」
2023.04.01
茨城の歴史点描
茨城県立歴史館史料学芸部 特任研究員 永井 博
鳥取市の観光スポットと聞くと、まず思い浮かぶのは砂丘です。むしろ、これ以外に何があるの?と思われる方も多いことと思います。
今回、ご紹介するのは、鳥取城址内に建つ「仁風閣(国指定重要文化財)」という洋風建築です。フレンチ・ルネッサンス様式を基調とした、白亜の木造二階建てのこぢんまりとした建物は、周囲の景観に溶け込んで美しい姿を見せています。
この建物は、明治三十九年(一九〇六)、鳥取城跡地に建設が始められ、翌年竣工しました。
設計は、赤坂迎賓館(国宝)をはじめ、京都、奈良国立博物館、東京国立博物館表慶館(ともに国指定重要文化財)を手がけた片山東熊(嘉永六年〈一八五四〉~大正六年〈一九一七〉)です。
建築主である旧鳥取藩主池田家の第一六代当主池田仲博侯爵(明治十年〈一八七七〉~昭和二十三年〈一九四八〉)の別邸という位置づけですが、完成した年に行われた、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓の宿泊所として使われることが想定されていたようです。この行啓に随行した海軍大将東郷平八郎によって「仁風閣」と名付けられました。
池田仲博は、徳川慶喜の五男であり、徳川斉昭の孫にあたる人物です。鳥取池田家には、斉昭の五男五郎麿が養子に入り、池田慶徳(天保八年〈一八三七〉~明治十年〈一八七七〉)として鳥取藩最後の藩主をつとめています。慶徳は弟で岡山池田家を継いだ池田茂政(天保十年〈一八三九〉~明治三十二年〈一八九九〉)とともに、幕末の政局に大きな影響を与えました。鳥取藩士と水戸藩士の交流も盛んで、鳥取県立博物館には、武田耕雲斎や原市之進らの書状が多く残されています。
さらに、仲博には四男四女の子がありましたが、長女幹子(明治三十五年〈一九〇二〉~平成八年〈一九九六〉)は、水戸徳川家から一橋徳川家を継いだ徳川宗敬(明治三十年〈一八九七〉~平成元年〈一九八九〉)に嫁ぎ、戦後は水戸市郊外に開拓農民として入植し、本県の婦人運動にも尽力しました。
「仁風閣」内部は公開(入館料一五〇円・六五歳以上無料)されており、建物はもとより仲博一家や池田家について、パネルや資料による展示紹介がなされています。鳥取市に行かれた際には、ぜひ訪ねていただきたい施設です。