茨城の歴史点描

茨城の歴史点描㊵ 歴史館の銀杏並木誕生70周年

2022.11.22

茨城の歴史点描

茨城県立歴史館史料学芸部 特任研究員 永井 博

 紅葉の季節です。私が勤める茨城県立歴史館の銀杏並木も黄金色に色づいています。
 例年、この時期にはライトアップと各種イベントを組み合わせた「歴史館いちょうまつり」が開催されています。
 さて、歴史館が開館したのは昭和四十九年(一九七四)ですが、それまでは県立水戸農業高等学校の敷地でした。学校は昭和四十五年に、那珂市(当時は町)に移転しましたが、銀杏並木はそのままにされ、同年に建設が決まった歴史館庭園に取り込まれました。
 残された理由は何でしょうか。それは、単に並木としての景観が優れていた、というだけでなく、この並木が誕生した理由にも大きな歴史的意味があったからだと思われます。
 この銀杏が植えられたのは昭和二十七年(一九五二)のことでした。前年の九月に第二次世界大戦の講和会議がアメリカで開催され、わが国と連合国との間でいわゆる「サンフランシスコ平和条約」が結ばれました。これによってわが国は連合国による占領から脱し、晴れて主権を回復したのです。
 翌年四月二十八日に条約が発効したことを祝って、各地で記念事業が実施されました。水戸農業高等学校でも、フランス式の記念庭園造営を計画、千葉大学園芸学部の浅山英一助教授に設計を依頼しました。
 設計案では正門を南に移し、少し入ったところから西へ直線道路を新設、両側にそれぞれ温室と花壇を造ることを基本としました。これに当時の稲葉甲午郎校長が、学校が長い歴史の割に校地に巨木が少なかったということに鑑み、また「生徒の心に長く残るような巨木」となることを願い、新設する道の両側に銀杏並木を加えることを提案したといいます。
 それから七〇年、残念ながら庭園は失われましたが、外観が復元された旧水戸農業高等学校校舎とともに本県初の農学校の歴史を伝えています。 ところで、歴史館にはサンフランシスコでの講和会議にちなんだ資料がもう一つあります。全権委員の一人として条約に署名した、一橋徳川家当主の徳川宗敬氏が条約にサインする際に使った万年筆です。宗敬氏から昭和五十九年に寄贈された一橋徳川家資料に含まれるもので、通常非公開ですが、テーマによっては展示されることもあります。

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