茨城の歴史点描

茨城の歴史点描㉖ 桜について二、三の話題

2022.04.16

茨城の歴史点描

茨城県立歴史館史料学芸部 特任研究員 永井 博

 今回は、桜の話題をいくつかとりあげます。
 写真は土浦市立真鍋小学校のソメイヨシノです(県指定天然記念物)。もとは校庭の端にあったのですが、校庭拡張後もそのまま残され、中央に立っています。
 さて、ソメイヨシノは、江戸時代後期にエドヒガンとオオシマザクラの交雑で生み出され、染井村(現在の豊島区駒込)の植木職人たちによって広げられた品種です。明治以降全国的に広がり、桜の代名詞のようになりました。
 「ヨシノ」は言うまでもなく、桜の名所奈良の吉野にちなんだもので、当初は「吉野桜」として売られていたようですが、山桜である吉野の桜とは性質が明らかに異なるので、区別するために、明治になって改めて「染井吉野」と名付けられました。
 さらに植物学の分野では、細かい分類を示すために学名が付けられます。ソメイヨシノには「プルヌス・エドエンシス」という名が与えられました。命名者の松村任三は、高萩の下手綱の出身で、当時東京帝国大学付属小石川植物園長でした。
 松村は安政三年(一八五六)、水戸藩付家老中山家家臣松村鉄次郎の長男として生まれています。明治三年(一八七〇)に大学南校(現東京大学)に入学、その後、ドイツに留学しました。東京帝国大学の植物学教室主任教授、並びに付属小石川植物園初代園長を歴任、ほかにワサビなど多くの植物に学名をつけています。
 話は変わりますが、実はサクラという名称は稲作と関係が深い、という話を聞いたことがあります。
 「サクラ」は「サ・クラ」なのだそうで、「サ」がイネを表す、というものです。たとえば、イネの苗を「サ・ナエ(早苗)」、田植えをする女性を「サ・オトメ(早乙女・五月女)」ということにも通じます。 
 いっぽう「クラ」は「座」で、すわるところ、物を置くところという意味です。「鞍」にも通じますね。
 ということで、「サ・クラ」は「イネの神様がおわすところ」ということになります。
 こうした解釈の正否はわかりませんが、古代、まだ谷あいの湧き水を水源とする田が多かったころ、田植え前の田に、山桜の花びらが風に乗って降り注ぐさまをみた人々が、花びらが散る様子を、やがて豊かな実りをもたらしてくれる神々の降臨ととらえたもの、と解釈すれば納得できるのではないでしょうか。

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