茨城の歴史点描⑲ 江戸時代水戸の年末年始
2022.01.12
茨城の歴史点描
茨城県立歴史館史料学芸部 特任研究員 永井 博
江戸時代中ごろの水戸の習俗を記録したものに、儒者立原翠軒が著した『水戸歳時記』があります。今回は、この記録から年末年始の様子を紐解いてみましょう。
・十二月二十四日
この日から役所は休みとなり、門松を立てます。これは武家の場合は「門前に穴を掘り、根を切った松を挿して竹を添え」さらに「藁で真ん中に炭やウラジロなどで飾ったしめ縄を結ぶ」というものでしたが、町人の場合は「打った杭に、松枝を結ぶだけ」というシンプルなものでした。男の子がいる家には弓矢、女の子の場合には羽子板を贈ります。
・大晦日
医者に対する歳暮の返礼としてもらった「屠蘇」を井戸の中にかけておきます。
・元日
明け方、家族全員が盛装して祝儀を述べ、歳徳神(その年の恵方にいる神)の方角に向かい屠蘇酒を飲みます。それから「餅の祝い」として、雑煮あるいは干餅をいただきますが、調理法などは家によって違いがありました。その後、漢詩の一節などを試筆(書初め)します。
さて、家中での一連の儀式が終わったあとは公的な儀式が待っています。
藩主に目通りできる資格のある藩士は、それぞれの格式に応じた礼服を着て登城して家老などに祝詞を述べます。与力などの下級藩士は二日に登城する決まりとなっていました。
その後は、各自で家老などの幹部藩士の屋敷を年始挨拶にまわります。挨拶を受ける家では玄関先に受付を設置し、年始客に記帳してもらうことになっていました。場合によっては、座敷に案内し、酒肴でもてなすこともあったとのことです。
こうした年始回りの風俗は町人も同様でした。
・正月二日
「謡始め」として城中では能が興行されます。夜には「宝船」の絵を枕に寝て、その時見た夢の吉凶を占うこともありました。
・正月三日
この日で正月の「餅の祝い」が終わります。
・正月六日
夕暮れに門松を片付けます。そのとき松や竹は子どもたちが各家からもらい歩きます。食事も平常に戻りますが、夜には手桶の上にまな板をのせ、「七草、ナズナ唐土の鳥がわたらぬさきに、すととんとんとこ」と歌いながら菜をすりこぎで打ちます。これを翌日に粥にして食べました。いわゆる七草粥です。 十四日夜には「ドンド焼き」が行われ、六日に集めた門松の類や書初めなどを燃やします。これで正月の行事も一区切りを迎え、水戸城下の新年が始まるのです。