茨城の歴史点描⑮ 「人の顔がついた土器」
2021.11.20
茨城の歴史点描
茨城県立歴史館史料学芸部 特任研究員 永井 博
前回まで徳川斉昭をめぐるエピソードを紹介してきましたが、今回は一気に時代をさかのぼって弥生時代の話です。
余談ですが、この「弥生」は斉昭が水戸藩中屋敷(現在の東大農学部あたり)に建てた「向岡碑」にある一句から採られたものです。明治時代「向岡弥生町」と名付けられたこの地で発見された土器が、「弥生式土器」といわれるようになり、新たな時代区分の基準となりました。結果的に、斉昭がこの碑を建てなければ「弥生時代」という表現は生まれなかったわけです。
さて、この時代はおおよそ紀元前三百年から六百年間続いていますが、その中ごろ東日本地域に特徴的にみられた風習に「再葬墓」があります。これは一度埋葬した遺体を掘り返して、遺骨を収集、改めて容器(壺形土器)に入れて埋葬する、というものです。複数の容器がまとまって埋められ一基の墓となっている場合が多く、常陸大宮市の泉坂下遺跡からはそうした墓が三〇基も確認され、たいへん珍しい例として平成二十九年に国から史跡の指定を受けています。
その容器の多くはシンプルな壺形ですが、稀に上部に顔を描いたものがあります。
人物を表現した考古遺物としては、縄文時代の「土偶」、古墳時代の「埴輪」などがよく知られており、全国的に数も多いのですが、弥生時代の例はこの「人面付壺形土器」以外には少なく東日本、とくに東海地方から東北南部地域に限られています。
本県では、四件が確認されています。
まず、前述の泉坂下遺跡からは、国内最大となる約七八センチの高さのものが見つかり、平成二十六年に国の重要文化財に指定されました。
つぎに女方遺跡(筑西市)のものは、写真右側のほっそりした壺で、現在東京国立博物館に所蔵されています。
ほかに海後遺跡(那珂市)、小野天神前遺跡(常陸大宮市)を歴史館が所蔵しており、県の指定文化財となっています。小野天神前遺跡では人面土器が三点出土しています。
歴史館では、十一月二十三日までの日程で、「ふぇいす」と題して、これら弥生時代のほか、縄文、古墳各時代の「顔が表現された遺物」をまとめた企画展を開催しています。 粘土で目や眉、鼻や口などだけではなく、入れ墨や髭までが表現された様子をぜひ確かめていただきたいと思います。