茨城の歴史点描 時代の変革者・徳川斉昭⑪
2021.09.10
茨城の歴史点描
茨城県立歴史館史料学芸部 特任研究員 永井 博
「疫病に挑む①」
コロナ禍はいまだ終息の見通しが立たない状況ですが、幕末にも大流行した疫病がありました。コレラです。水戸藩がこの難局にどう対処したのか、二回にわたりみてみたいと思います。
コレラはウイルスではなく細菌によるもので、汚染された食物や水を摂取することにより発症します。嘔吐や下痢のため脱水症状が激しくなると重症化します。
幕末の安政五年(一八五八)にも大流行がありました。この年は、井伊直弼による「日米修好通商条約」の無勅許調印に端を発する政情不安、とく水戸藩では、朝廷から幕府を通さず直接勅命が下るという事態、いわゆる「戊午の密勅」をめぐる騒動で藩内が動揺していた時期になります。
この時の大流行による死者は、全国でおよそ二〇万人ともいわれています。江戸では火葬場があった小塚原(今の常磐線南千住駅付近)から、火葬が間に合わず放置された遺体の腐臭が浅草あたりまで漂ってきた、というほどでした。
さて、斉昭には「景山奇方集」という、様々な病気に関する情報を集めた著作があります。コレラに関する記述の中から一部をあげてみましょう。
此病霍乱ノ一種ニシテ、始メ東印度ノ海浜及ビ侃傑私(ガンケス)ノ海浜ニ生ズルヲ以テ、西俗呼デ亜細亜霍乱ト云フ、原名コレラ、オリーンタリス邦俗略称シテ、コレラト云フ、又、コウデ、ペスト ト云フ、コウデハ寒冷ノ義、ペストハ疫病ノ義ナリ、(中略) 阿芙蓉液(即阿芙蓉丁幾告爾(チンキチニール)原名 ラウダニューム、リクイチエム、通称略シテ「ラウダ」ト云フ
コレラは「霍乱(かくらん)」と称される急性の胃腸病の一種で、東インドを起源とすることに始まり、西欧での呼び方等を解説しています。最後に「阿芙蓉液云々」とあるのは最終的な治療薬として、「阿芙蓉液」(アヘン)を用いることを述べている部分です。これは、長崎のポンペ(オランダの軍医)が処方していたという実績に基づいているようです。
斉昭は、攘夷論者なので西欧事情には疎い、と誤解されることが多いのですが、実は洋学を積極的に学んでおり、ここでもその知識を遺憾なく発揮しています。 こうした知見をどう生かしていくのか。次回に続きます。