茨城の歴史点描 時代の変革者・徳川斉昭⑥
2021.06.18
茨城の歴史点描
茨城県立歴史館史料学芸部 特任研究員 永井 博
斉昭の改革政治の特色は、短期的な成果を求めるものではなく、長期的なビジョンに基づくものが多いという点に求められます。
その一つが人材育成で、そのために建設されたのが、弘道館と偕楽園です。まずは、弘道館についてみてみましょう。
江戸時代は幕府はじめ各藩で、人材育成を目的とした学校が創設されましたが、水戸藩の設立はかなり遅い方になります。建学の精神も「水戸学」に基づいた独創的なものですが、ここでは敷地、建物に注目してみたいと思います。以下の三つの特色をあげることができます。
①敷地面積が全国一の規模で、約三万坪という面積は、第二位の長州藩校明倫館のおよそ二倍と圧倒的です。これは軍事訓練をするための練兵場(現在の三の丸庁舎、県立図書館があるエリア)を設けたためで、明倫館も弘道館の影響を受け幕末に練兵場を設け、郊外に移転した結果、敷地面積が拡大しました。
②建設地が城内(三の丸)にあるのは、藩校として全国唯一の事例となります。水戸城は二の丸に藩庁がありましたが、その正門である大手門に正対する位置に学校を置いたところは、斉昭が教育を重要視していたことを示すものです。
③学校敷地の中心部を「建学の精神的基盤」を表現するエリアとし、鹿島神社・孔子廟とともに建学精神を記した「弘道館記碑」を納める八卦堂を配していることも全国唯一の事例です。この建物の配置には、斉昭の「こだわり」が感じられます。すなわち八卦堂は八方角に合わせ、鹿島神社(鹿島神宮の分祀)は北をさして社殿と参道を設定しています。これは、斉昭が対ロシアへの防衛上重視していた蝦夷地(北海道)を意識していること、鹿島神宮(鹿嶋市)もほぼ北向きに社殿が建てられていることにも関連しているものと思われます。
最大規模というだけでなく、建設地、建物配置などは、斉昭のメッセージを形にしたといえるもので、こうした藩校は全国唯一のものです。