コラム「四季の風」

名もない誰かじゃない

2022.05.10

コラム「四季の風」

◆平安時代から鎌倉時代にかけての合戦には、名乗り合ってから戦闘を開始するという作法があった。命を賭けた真剣勝負の前に、わざわざ名乗る時間を取るというのは違和感があるが、これには理由がある。

◆誰が誰を討ち取ったかを明確にすることで、自分にはどれだけの功績があるのか主張するためのシステムなのだ。功績に見合った恩賞を受けることを目的として、高らかに名乗りを上げるのである。

◆この作法が揺らいだのは室町時代。応仁の乱を機に、合戦の規模は次第に大きくなり、下剋上も頻発するようになる。名乗るどころではなくなったのだ。合戦の常態化が、むしろ作法の消失を招くこととなった。争いのあり方が時代に合わせて変化することを、歴史が物語っている。

◆現在、ウクライナ侵攻のニュースが絶えず報じられている。今やマスメディアによるプロパガンダすらも武器となって久しい。これからの時代、武器の多様化がどれだけ進んだとしても、攻撃しようとしている相手が「名もない誰か」ではないことを思い出すことで、少しでもその手が止まることを祈りたい。(S)

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