いばらきの公共事業(歴史をたどる)

県開発公社理事長・土地開発公社理事長編①

2024.09.28

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

公益財団法人茨城県開発公社について
~工業団地を造成分譲し「鵜の岬」「いこいの村涸沼」などを運営する開発公社~

渡邊 一夫 氏
元県開発公社理事長

佐久間 正敏 氏
元県開発公社専務理事兼土地開発公社専務理事

 新県庁舎(水戸市笠原町)は、広い歩道と桜並木で囲まれています。だいぶ成長した「ソメイヨシノ」は、春には見事な花を咲かせ、秋には紅葉が楽しめます。今では県内有数の桜の名所となっています。昼休みにはウォーキングをする人が多く、私もその1人でした。

プロパーで約2400ha造成

350社越えの企業誘致に成功

 公益財団法人茨城県開発公社は、昭和35年に財団法人として設立され、プロパー事業として約2400haの工業団地を造成し、350社を越える企業誘致の実績を持っております。昭和40年には、筑波スカイラインを供用開始させ(後に道路公社に移管)、昭和46年には、国民宿舎「鵜の岬」の管理運営を、県から受託しています。
 昭和50年代には「いこいの村涸沼」も管理し、砂沼サンビーチの営業も開始しております。科学万博会場予定地の用地取得、工業団地造成も受託し、つくばエクスプレス沿線の伊奈・谷和原地区の開発にも大きく関わっておりました。
 平成11年には、県庁舎移転に伴い、新開発公社ビルを竣工させました。本社事務所を水戸市笠原町に移転させて、現在に至っているのです。
 こうして、長く県を補完する重要な役割を担ってきていました。しかしながら、この間の経済成長の鈍化、地価下落など、社会経済情勢が大きく変化するなか、分譲低迷などによる影響を受け、大ピンチに陥ってしまいました。県から諸々の支援を受け、経営改革に取り組んでいたのです。
 このような中で、私は平成24年7月、この開発公社の理事長になりました。私は、内部打ち合わせは幹部だけではなく、若手の職員にも加わってもらって、考え方を共有することから始めました。この難局を乗り越えるには、職員全員で頑張るしかないと考えたのです。落ち込んでいる暇はありません。
 まず、約100haの未分譲地をできるだけ早く分譲することから始めました。さっそく団地ごとのPRポイントを徹底的に分析し直し、固定資産税の減免や、工業用水の期間限定の値引きなどを、市町村の協力を得て追加し、企業訪問も今まで以上に活発に実施してもらいました。県の企業誘致グループ、各銀行、大手建設会社の力もお借りして、頑張ってもらったのです。
 時が経つにつれ、各企業から少しずつ興味を持ってもらえるようになり、現地案内の要請も多くなってきたのです。その都度案内して、団地の優位性を細かく丁寧にPRしてもらいました。
 私も、タイミングを見て各企業の社長さんにお会いし、茨城県のすばらしさを説明し「県、開発公社で、いろいろ応援させてもらいますから、ぜひ当団地においでいただきたい」とお願いして回りました。こうして少しずつ分譲が進むようになったのです。
 次に、新しい工業団地造成についてです。
 開発公社は、経営改革に取り組んでいる最中ですから、大きなリスクを負うことはできません。そのような中で考えついたのが「茨城県開発公社産業用地買取制度」の創設です。
 開発公社がすでに分譲した土地で、企業がいろいろな事情で不要になった土地があれば、それを買い取り、リニューアルして再分譲するのです。これは大好評で、かなりの実績をあげ、今でも続いている制度です。開発公社は、売主からも買主からも信用されているのです。
 ここで、事業を始めても土地が買収できないリスクや、造成してもいつまでも分譲できないリスクを避けながら進めた、つくば明野北部工業団地造成のお話をします。
 筑西市から話があった時、まずは開発エリア約28・7haの地権者の意向調査から始めてもらいました。市の頑張りにより、全員の同意書がいただけた後、今度は立地企業さがしです。少なくとも、半分程度の土地分譲の見込みが立たなければ、先には進めません。
 幸い、隣接企業のファナック㈱さんから購入希望の返事がいただけたので、造成工事にかかることができました。県からの支援中であり、かなり大規模な造成であることから、今回は企業局が事業主体になり、開発公社が実務を行うスキームで進めることになりました。その後、ファナックさんから再拡張の要請があり、2期分23ha、3期分7haは、はれて開発公社が事業主体で実施することになったのです。
 ここでやっと、開発公社も上げ潮に乗ることができ、経営危機から脱出できる手ごたえを感じたのです。

佐久間 正敏(さくま まさとし)
 1955年12月3日生まれ、68歳。79年に入庁、医務課に配属となった。保健福祉部企画監、情報政策課長、企画課長、つくば・ひたちなか整備局長などを経て、2016年3月に理事兼科学技術振興監で定年を迎えた。その後は開発公社専務理事兼茨城県土地開発公社専務理事を務めた。

コストコファナック 経済発展に大きく貢献

 私は県庁在職中から、開発公社(土地開発公社も含む)の事業と何度か関わらせていただく機会がありました。その話からさせていただければと思います。
 最初は、県企画部の企業誘致担当の時の話です。当時、開発公社は多くの工業団地を抱えていました。昭和62年に赴任した頃は、急激な円高の影響か、工業団地への企業の引き合いは少ない状況でした。
 ところがその後、一転して上場企業などから大口の引き合いが相次ぐようになり、開発公社の皆さんと誘致企業の現地調査などで県内外を飛び回るようになりました。東京と大阪に置かれていた前線基地もフル回転となり、東京・大阪で大規模な誘致イベントを開催するなど、活発な誘致活動を展開した結果、本県の工場立地面積は全国で1、2位を記録するようになりました。
 在籍3年目に入っても旺盛な企業の引き合いは続き、企業の要望に対応できる用地が不足する状況となっていきました。まさに、日本のバブル景気を体感していたといえます。
 次に平成2年、企業誘致担当から財政課へ異動になり、鵜の岬の大規模リニューアルに関わることとなります。鵜の岬は開発公社が運営し、全国1位の利用率を誇る人気の国民宿舎となっていましたが、建物の老朽化と旺盛な宿泊需要に応えるには手狭すぎることが課題となっていました。
 そこで、5階建ての中層建物で建て替えたいとの要求が、担当の観光物産課から出されました。その要求は認められましたが、翌年、県北のランドマークとなる高層建築にグレードアップしたいとの大幅な増額要求が出されました。グレードアップ分まで県負担とすることは難しいと思われましたが、幸い運営主体の開発公社が建設費の一部を負担することで、関係部局並びに開発公社の調整ができ、その整備スキームで鵜の岬が建て替えられることとなりました。
 平成7年には財政課から観光物産課に異動し、「鵜来来の湯 十王」の整備に関わりました。開発公社が掘り当てた湯量豊富な温泉を活用し、日帰り温泉施設を整備しようという構想です。
 整備主体が未定のままとなっていましたが、地元十王町(現・日立市)が整備主体になることを前提とした整備スキームが構築できないか検討しました。その結果、①建設費は観光物産課の大規模補助金と地域総合整備事業債(国の手厚い財源措置あり)により財源を手当て②運営は開発公社に委託(温泉の無償使用)し、施設の利用料収入と町に入る入湯税により維持管理費用を賄っていく、という整備運営スキームを作成し、町に提案しました。このスキームに賛同いただき、町主体で整備が進むこととなりました。
 最後は、平成24年からのつくば・ひたちなか整備局において、ひたちなか地区の業務用地(土地開発公社保有)の処分に関わります。米系大手量販店コストコについて、つくば地区への立地に続き、ひたちなか地区の業務用地への立地についても検討を進めることとなりました。
 コストコの立地に当たっては、地元などとの調整が難しい課題がありましたが、業務用地の早期処分は各方面から強く求められていました。また、広域から集客が見込める商業施設の立地は、地域活性化やイメージアップに資することから、ぜひ実現したいと考え、土地開発公社の渡邊理事長(開発公社理事長兼務)のご指導もいただきながら、なんとか誘致を実現することができました。
 県を退職した後は、平成28年度から3年間、開発公社に専務理事として勤務することとなります。私が渡邊理事長と仕事をさせていただくのはコストコの誘致以来で、平成28年4月から平成30年6月までの期間でした。
 開発公社は、バブル崩壊後の長期にわたる工業団地の売れ行き不振などにより、借入金や保有土地が増大し、一時存続が危ぶまれる事態にまで陥りました。しかし、平成21年度からの10年計画「経営改革プラン」により、県の支援を受けつつ、抜本的な経営改革に取り組んだ結果、私が赴任した時点では借入金の返済や保有土地の処分などが進み、新たな事業展開も図られつつありました。
 経営改革期間中の転機となったのは、平成26年の経営改革プラン改訂と県議会特別委員会調査報告における方針転換で、経営改革の進捗が評価され、事業の継続が認められたことです。これにより、役員を除き職員の給与カットは終了することができました。
 なお、土地開発事業に係る借入金(平成23年度末約730億円(県事業分約550億円、公社事業分約180億円))の返済については、平成31年3月末の返済期限を2年近く前倒しし、平成29年7月に完済となりました。また、保有土地(平成23年度末約100ha)の処分も、関係された皆さんの頑張りにより、同じく平成29年7月の時点で、リース中の土地約5haを除き、処分が完了しました。
 保有土地の処分等を進める一方、新規の工業団地開発にも着手し、開発公社主導でファナック㈱の筑西市田宿地区(約29ha)への誘致が実現しました。資金調達や農地転用などを県企業局にお願いしたことから、平成28年6月に県企業局がファナックとの間で契約を締結しましたが、開発の実務は、用地買収から造成まで開発公社が担うこととなりました。
 田宿地区に続いて、隣接地約23ha(猫島)への拡張も検討され、その過程で新たな開発手法である地域未来投資促進法により、開発公社が事業主体となって、農地転用を伴う地域開発を行うことが可能となりました。続いて約7ha(田宿拡張)の開発にも同法を適用し、ファナックの隣接地への拡張が次々と実現していくこととなりました。
 なお、猫島地区の開発事業については、新たに収益事業とする変更認可が得られました。これにより、田宿拡張地区も含めて、収益を活用した柔軟な事業展開が可能となりました。
 さらに、八千代町の要請を受け、八千代工業団地(約9ha)の開発に着手し、企業の引き合いのある地区から事業化を図るという段階的な開発手法をとりました。稲敷市においても、市有地の開発要請を受け、企業立地を前提としたオーダーメイド方式により開発(約25ha)することとしました。そのための開発計画を検討しながら、最優先で市と共同での企業誘致活動を開始しました。
 これら新規の工業団地開発に当たっては、県による損失補償(金融機関借入への県の信用補完)が打ち切られており、資金調達の手段が限られる中、リスクのない形での開発手法が求められました。こうした条件下で、ファナックの誘致は渡邊理事長のトップセールスを契機として実現したものです。その後も強いリーダーシップのもと、市町村や企業の要請に応え、次々と開発案件を立ち上げたことは、開発公社の存在意義を改めて示すものとなりました。
 県開発公社は、土地開発事業のほかに、茨城空港ビル、開発公社ビルの管理運営、国民宿舎「鵜の岬」、いこいの村涸沼の運営など幅広い事業を通じて地域振興、県勢発展に多大な貢献をしてきたところです。これら個別の事業については、これから連載されるとのことですので、私の話はここまでとさせていただきます。(島津就子)

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