県企業局長・企業公社理事長編④
2024.07.13
いばらきの公共事業(歴史をたどる)
県西水道事務所と企業公社
~失敗を反省し、次にそなえる~
渡邊 一夫 氏
元県企業局長
浦井 康行 氏
元県企業局施設課技監兼課長(当時・県企業局施設課主査)
水海道浄水場 高度浄水処理を導入
筑波山のふもとにある「つくし湖」(南椎尾調整池)は、霞ヶ浦用水事業の一環としてつくられた人造湖です。霞ヶ浦揚水機場からくみ上げられた霞ヶ浦の水を蓄えているのです。霞ヶ浦用水は、県西地域の農業用水、工業用水、水道用水に利用されています。風の穏やかな日には、湖面に「逆さ筑波」が映り、桜の名所としても知られているようです。休日はウォーキングやサイクリングを楽しむ人で賑わっているとのことです。(弊社HPトピックスに掲載)
桜川市漏水事故 危機管理体制をより強固に
県西水道事務所は、新治浄水場、関城浄水場、水海道浄水場の3浄水場から13市町(土浦市、かすみがうら市、石岡市、常総市、筑西市、結城市、下妻市、桜川市、八千代町、坂東市、古河市、つくばみらい市、境町)に水道用水を、また14市町(土浦市、つくば市、かすみがうら市、結城市、下妻市、筑西市、桜川市、常総市、守谷市、坂東市、古河市、つくばみらい市、境町、取手市)に立地する139社153事業所に工業用水を供給しています。(平成20年4月現在)
なお、新治浄水場と関城浄水場は、霞ヶ浦用水を通して霞ヶ浦から取水しています。また、水海道浄水場では、水道水は利根川、鬼怒川から、工業用水については、小貝川から取水しております。
3浄水場とも、それぞれ課題はありましたが、各現地の状況を踏まえて計画的に整備を進めることとしました。
新治浄水場では、電気、機械設備の多くが耐用年数を超え、老朽化が著しいことから、積極的に施設の更新を実施しました。
水海道浄水場では、より安全でおいしい水を供給するため、高度浄水処理(オゾン生物活性炭処理)を導入しました。
また、関城浄水場関連では工業用水の古河ルートの整備を進めました。これは、KDDI跡地(古河市)に日野自動車の立地が決まったことへの対応です。土木部で進めていた鬼怒川新橋への配水管添架も、なんとか間に合わせることができました。この関城浄水場関連で、忘れられない思い出を2点ほどお話したいと思います。
1点目は、前にもお話しましたが、漏水事故のため桜川市の皆様に大変なご迷惑をかけてしまった反省から、企業局の危機管理体制をより強固にしたことです。漏水補修資材の大量備蓄、災害時協力員制度の創設、給水車の確保、応急給水ペットボトル(茨城の水)の増産備蓄などです。このほか、管路メーカーにおいでいただいて、各社緊急時のために漏水補修資材を一定量確保しておいてくれるよう要請しました。これらのことは、1年後に起きた東日本大震災でおおいに役立ってくれました。
2点目は、東日本大震災時、新治浄水場と関城浄水場が受水している霞ヶ浦用水のパイプラインが大きく被災してしまったことです。パイプラインを管理している独立行政法人水資源機構からは、「施設が相当損傷していると思うので、復旧に約2カ月かかる」という話でした。そんなに待っていることは到底できません。早急に被害状況を把握し、一刻も早い送水再開を強く求めました。
震災の翌々日、水資源機構から職員が来られ、14日間で復旧できる案が示されました。もっと早く通水できるよう要請して、できるだけの技術支援をすることとし、資材の確保や燃料確保の助言、支援も行いました。その結果、両浄水場は震災から8日目の3月18日に送水を再開することができたのです。親身になって復旧を急いでくれた水資源機構の皆様に、改めて感謝申し上げます。
次は企業公社についてです。企業公社は平成2年6月に財団法人として設立され、平成24年4月に公益財団法人に移行されました。主な業務として、企業局浄水場の運転管理と管路の保守点検などを行っております。県開発公社ビル内に本社を置き、11浄水場と水質管理センターにそれぞれ事業所を設け、対応しておりました。
私は平成20年度から23年度の4年間、企業局長を務めるとともに、企業公社の理事長を兼務しておりました。時々本社を訪れ、公社職員といろいろ話をすることを楽しみにしておりました。執務室がちょっと手狭だったので、隣の部屋を新たに借り受けたりもしました。
東日本大震災の時は、企業局と企業公社の合同対策本部を局内会議室に立ち上げ、いろいろな作業を受け持ってもらいました。企業局長=公社理事長ですから、話は簡単です。浄水場の被災状況確認や応急対応、管路の巡視、備蓄していたペットボトルの給水拠点への搬送などを行ってもらいました。
また、給水車による給水業務、特に保健福祉部経由で各医療機関から要請を受け、透析患者さん用の水を運べたことは、お役に立てたのかなと、今でも深く心に残っています。
企業局と企業公社が一体となって頑張れたので、大震災もなんとか乗り切れたのかな、と思っております。
浦井 康行(うらい やすゆき)
1954年9月13日生まれ。69歳。73年に入庁し、企業局へ出向。企業局施設課主査、技佐兼課長補佐、課長、技監兼課長などを経て、2015年3月に定年を迎えた。その後は県企業公社に勤務、現在は㈱フソウに勤めている。
災害時の備え再確認
私は昭和48年6月に茨城県職員として採用され、退職まで42年間、企業局と衛生部で一貫して水道事業に携わって参りました。また、茨城県に入る前までは、短い間ですが県内の水コンに勤務していたこともあり、今思えば水道には縁があったんだなと思っております。
私が採用された当時は、霞ヶ浦浄水場、鹿島浄水場、那珂川浄水場の3浄水場が供用開始されていたほか、将来の水需要に対応するための浄水場の拡張や、新規浄水場の建設などが計画的に進められていました。
私は、主に浄水場の建設や送配水管の布設工事をしてきたほか、昼夜を問わず発生する漏水の復旧業務を担当してきました。漏水は他の業務と違い突発的に起こるため、復旧作業や復旧後の通水作業などを、限られた時間の中で迅速に行う必要があります。こうしたことを若いうちから多く経験できたことは、水道マンとして貴重な経験ができたかなと思っております。
私が経験した漏水のなかで、強く記憶に残る事故があります(東日本大震災は除く)。それは平成22年3月に発生した、関城浄水場系増圧ポンプ場での漏水に伴う桜川市北東部の断水事故です。私がこれまで経験したことのない広範囲で、長時間にわたって影響が出た断水でした。
発生翌日、私が現地に出向くと、桜川市岩瀬庁舎に対策本部が設置されており、渡邊企業局長、桜川市長の陣頭指揮のもと、企業局職員、企業公社職員のみならず、土木部職員、業界団体の方々が給水活動に奔走しておりました。企業局の長い歴史においても、これほど長時間の断水に繋がる事故の経験はありませんでした。この事故では初動態勢の遅れや情報伝達不足などが重なり、長時間の断水に繋がってしまったのです。
事故収束後、様々な危機管理対策措置が講じられました。
具体的には、一つは緊急補修材の備蓄拡充です。緊急資材の多くは受注生産になるため、発注から納品まで期間を要することから、企業局が管理する全ての水道管に対応できる補修資材を備蓄し復旧期間の短縮化を図りました。また、事故現場から補修資材を短時間に運搬できるよう集約化を進め、県内3ヶ所に備蓄拠点を設置しました。
次に、企業局OB職員による災害時協力員制度の創設です。企業局で豊富な経験を積んだ退職者を協力員として登録していただき、災害復旧活動などの支援をいただく制度です。平成23年3月に発生した東日本大震災においては、創設時登録した9名の方々に支援を頂き助かりました。私も企業公社を退職後、令和2年度に登録をしました。これまで幸いにも活動実績はありませんが、万が一災害が発生した時には、いち早く現場支援にあたりたいと思っております。
さらに給水タンク、給水袋、ペットボトル水など応急給水資材の整備拡充を図りました。特に給水タンクは、これまで用水供給事業者ということもあって保有しておりませんでしたが、応援給水が迅速にできるよう整備し、備蓄拠点に配置しました。
このほか、水道事業体との情報の共有化や民間企業、団体の方々との災害協定締結などの連携強化を図りました。
こうした対策が概ね1年で整備できたことは、桜川市の経験が生かされたことに加え、組織トップの適切な判断があったからこそ出来たのだと思います。
これらの対策は、翌年の東日本大震災においても大いに役立ち、備えの大切さを再認識させられました。東日本大震災の時、渡邊局長が『何事もスピード感をもって、対策は一つではなく二の手、三の手を考えておかないとだめだ』と仰ったことが、今でも心に残っております。
企業局が管理する管路は約1340㎞あります。これらの管路は、管種に応じた漏水予防対策や管路パトロールによる漏水の早期発見に努めておりますが、老朽化などに伴い年間10件程度の漏水が発生しております。今後も大規模漏水に繋がらないために、更なる物的、人的(技術力)備えが重要になると思います。
また近い将来、高い確率で発生が予想されている南海トラフ地震や首都直下地震は、東日本大震災を超える甚大な被害が想定されており、災害への危機管理対策が益々必要になってきております。
企業局では、水道施設の耐震化や広域事業間を結ぶ緊急連絡管の整備など、災害への備えが計画的に進められています。水道施設に携わる皆様には、大規模地震などを想定した災害対策に計画的に取り組まれ、県民の方々に安全で安定した水の供給が図られることを期待します。(島津就子)