いばらきの公共事業(歴史をたどる)

いばらきの公共事業 県土木部道路建設課編②

2023.07.22

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

夢のある都市軸道路の誕生

渡邊 一夫氏
元県土木部長(当時・県土木部道路建設課)

浦和 振
元県常総工事事務所長(当時・県道路建設課高速道路建設対策室主任)

3県つなぐ大動脈、沿線開発に拍車

 私は学生時代、浅草が好きでよく遊びに行っていました。浅草寺にお参りし、仲見世をぶらりぶらりと歩き、適当な居酒屋を見つけ、仲間と楽しくお酒を飲むのです。すれ違う人がみな笑顔で活気のある、いい街だと思いました。後に、この浅草に関係する鉄道事業に深く関わるとは、思ってもみませんでした。(弊社HPトピックスに掲載)
 昭和61年4月、4年間お世話になった道路建設課から企画部の鉄道交通課に転勤となり、常磐新線を具体化するグループに配属となりました。課長は、のちに岩手県知事に就任され、総務大臣も務められた増田寛也氏です。運輸政策審議会の答申では守谷までの区間を将来構想として示していたものに事業化の目途をつけるなど、とても忙しくやりがいのある3年間を過ごしました。
 まずは守谷市から、国の機関がたくさんあるつくば市を目的地にしたほうが合意形成がとりやすいだろうということになりました。また、国鉄からJRに衣替えしたこともあり、常磐線の混雑緩和だけが目的ではなく、新たに宅地を生み出す開発新線の位置づけを加えようということになったのです。
 首都圏の若い人たちに、守谷、谷和原、伊奈、つくばに住んでもらい、すばらしい環境のもとで子育てをしてもらおう、という考えでした。
 この計画を国、東京都、埼玉県、千葉県に理解してもらうため、課長の陣頭指揮のもと、くる日もくる日も説明して歩いたのです。だんだん関係者から理解が得られるようになり、少しずつ事業化に近づいていきました。
 一方、宅地開発ですが、伊奈町と谷和原村の行政界にある丘陵部約275 haについて、開発適地と定め、着々と準備を進めていたのです。地元の合意形成もでき、約135億円の用地買収費が用意され、用地の先買に入ったのです。
 もちろん事業者は茨城県、先買は企画部、土地区画整理事業は土木部が行うことになりました。約4割の土地の先買を行い、のちに鉄道用地などに集約換地する計画です。買収は伊奈町と谷和原村にすべてお願いして進めました。この時の心配の種は、開発が進んで、鉄道が遅れた場合、どのように土地を売るかという問題です。
 結果的に、鉄道の両サイドに2車線ずつ、計4車線の道路をつくり、国道294号線まで結ぼうということになったのです。この道路は鉄道の工事にも使えるし、一緒に用地買収もでき、また沿線開発にも役に立つ『一石三鳥』であると考えたのです。
 これは国にも大いに認められ、東京外環自動車道までの約30㎞の計画となったのです。私も後に道路建設課に戻り、この道路を鉄道と同時施工で進めることに大いに関わったのです。特に守谷駅、小貝川橋梁は施工が難しく、現場で担当された方々は本当に大変だったと思います。
 ちょっと強引なこの計画も、県内は立派に出来上がっております。のちのために、利根川橋梁の下部工の一部は、鉄道と一体型で出来上がっています。茨城県の未来のために欠かせない、夢のある都市軸道路の誕生です。

写真上から
現況(守谷方面を望む)
現況(みらい平方面を望む)
利根川橋梁
小貝川橋梁

浦和 振(うらわ あつし)
1961年4月26日生まれ。62歳。初入庁は80年で、初所属は境土木事務所(現境工事事務所)。その後、UR都市機構係長(出向)、都市整備課課長補佐、道路維持課室長補佐、立地整備課技佐などを経て、2021年に常総工事事務所長で定年を迎えた。

 平成6年度末、私が所属していた道路建設課高速道路対策室では、日本道路公団(現NEXCO)より受託した北関東自動車道(水戸~友部間)の設計協議等の諸調整がまとまり、道路公団の強い希望であった年度内の用地取得の実績を積むため、水戸市、茨城町、友部町で集団調印を実施しました。
 100億円以上もの契約を完了し、一息ついていた頃のことです。室長から「今度、都市軸道路を高速道路対策室で任された。地元市町村と設計等の協議や鉄道との調整を、浦和さん担当でやってほしい。来年度には県南都市建設事務所(現つくば支所)に担当を移すことになっている」と伝えられました。
 都市軸道路は、全体計画延長が約30㎞。県内の鉄道(つくばエクスプレス)に沿う区間は9・9㎞で、主要地方道野田牛久線として整備する計画です。このうち、道路事業区間約8㎞が高対室の担当でした。
 早速、県道グループや設計を担当していた竜ケ崎、土浦両事務所に状況確認を行い、調整すべき内容や課題を整理しましたが、「本当にこんな状況で、来年度に用地着手できるのだろうか」と、不安でいっぱいでした。
 現状の課題は、主に4点ありました。まずは守谷市域の一部で鉄道による騒音被害を訴える猛反対があり、都市軸道路計画にも波及していたこと。さらに、合併前だった伊奈町、谷和原村区間は、用地買収予定単価が隣接のつくば市、守谷市と大きな乖離があり、町・村全体で反発しており設計協議が未了であったこと。そして、鉄道事業者(当時の日本鉄道建設公団)との協議調整にほとんど進展がない状態や、これらの課題を速やかに解決した上で翌年度から着手する、用地取得に向けた予算要求を行うこと等、これらの課題はかなり高いハードルに感じました。
 守谷市域の反対地区に対しては、地域住民の声を聞くため、市と協力して説明会を幾度となく実施しました。併せて騒音対策の協議や、防音壁を設置してある他都県路線の現地視察を行うなど、住民の理解を得るため力を尽くしました。
 また、伊奈町・谷和原村区間については、用地単価の問題は設計協議と別扱いでお願いしました。協議を重ねるうち、徐々に県側の熱意が伝わり、道路設計の精度をかなり高めていくことができました。
 日本鉄道建設公団の担当者とは、関東支社がある上野まで出向いて協議を行いました。打合せを進めていく中で新たに協議が必要となった、小貝川橋梁部の構造協議などについても十分な議論を交わすことができました。その結果、平成7年度末には「道路と鉄道の並行区間の用地測量に関する覚書」を締結することができたのです。
 これらの協議調整と並行して、翌年度から着手する用地買収に向けた予算要求を進めました。平成7年度から県道グループの課長補佐を担当していた渡邊さんと相談して、事業化したばかりの路線に用地国債分含め数十億円の予算を、財政課に持ち込んだのです。財政課との激論を経て、ほぼ要求通りの予算を得ることができました。
 年度末には、用地単価の問題が残っていたものの、予定通り県南都市建設事務所への引継ぎを終了。その後、同事務所の奮闘により、平成8年12月には用地買収に着手しました。小貝川橋梁や守谷トンネルなどの難工事も土木部の技術力で乗り切り、平成17年8月のつくばエクスプレス開業に併せ、部分供用にまで漕ぎつけました。
 今後は、茨城・千葉・埼玉を結ぶ大動脈の完成に向け、土木部の悲願であった利根川橋梁渡河区間の早期事業化が待たれるところです。(島津就子)

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