いばらきの公共事業(歴史をたどる)

いばらきの公共事業 県土木部港湾課編③

2023.06.10

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

日立港での座礁事故のおもいで

渡邊 一夫 氏
元県土木部長(当時・県土木部港湾課長)

大塚 嘉久 氏
元県土木部都市計画課長(当時・県土木部港湾課課長補佐)

事故から港湾条例が改訂

 海は、平時は穏やかで美しいですが、時折キバを剥くことがあります。港湾に携わる仕事をする際は、緊急時に備え、すぐ対応できるよう常に心掛ける必要があるのでしょう。 日立港は、東京から北東約120㎞に位置し、現在では5つの埠頭に14の公共バースが完成しております。石油製品や鉱産品などが取り扱われており、釧路と結ぶRORO航路もデイリー運航されております。東京ガスの日立LNG基地の立地により、エネルギー供給拠点にもなっております。
 私が港湾課長だった平成14年12月5日、北朝鮮船籍のチルソン号、全長96・2m、総トン数3・144tが、この日立港の東防波堤消波ブロックに乗り上げてしまうという事故が起きました。油が漏れて、相当の範囲に広がるおそれがあったのです。
 各港湾事務所に急ぎ呼びかけ、あるだけのオイルフェンスを日立港まで早急に運んでもらい、オイルフェンスの設置を最優先で実施しました。
 那珂湊海上保安部と、チルソン号の曳航方法を協議した結果、船会社との交渉や費用については県が責任を持ち、作業については保安部が指揮することになりました。
 何度も曳航を試みてもらいましたが、結果的には新たな損傷浸水を確認し、地元にあるタグボートでの曳航は無理だと判断されました。その後、海難救助船オーシャンタグによる曳航も実施しましたが、うまくいきません。ここで、曳航を諦め、残存油の抜き取り作業を実施することになりました。12月12日のことです。
 油抜きがひと段落して、今度は積荷のタイヤチップの撤去です。このままだと、海上に散乱してしまうおそれがありました。この作業については、港湾関連の業者さんに大いに助けていただきました。
 船は、しばらく安定を保っておりましたが、翌年3月中旬、大きく2つに分断してしまい、地元の日立市からチルソン号の早期撤去が求められました。
 国との協議を重ねながら、台風前にどうにかしようということで、5月27日、橋本知事が船体撤去に着手することを発表しました。
 作業はタイヤチップの撤去に使用した作業ステージを使用し、船体を切断しながら撤去しました。台風シーズン前の7月21日までに、水上部の撤去を完了させ、最終的には平成16年1月3日に完了となったのです。
 静かな海を取り戻すのに1年以上かかりましたが、こんなに早く対応できたのは全国に例がなかったようです。国の全面的な支援、また地元の日立市、特に関係する漁業組合の皆様、いろいろな場面で助けていただいた建設業界の皆様に、深く感謝申し上げます。海岸で油回収を行ってくれたボランティアの皆様にも感謝です。その節は本当にありがとうございました。
 この事故を契機に、茨城県の港湾条例が改訂され、国もいろいろ制度改正を行ったのです。

大塚 嘉久(おおつか よしひさ)
1954年3月24日生まれ。69歳。1976年4月に初入庁、港湾課に所属。その後、日立港湾事務所工務第二課長、港湾課課長補佐などを経て、2014年3月に都市計画課長で定年を迎えた。

船体撤去 東防波堤嵩上げ

 私が日立港湾事務所に所属していた平成14年、日立港の東防波堤沖で、北朝鮮船籍のチルソン号座礁事故が起きました。この時のことで印象に残っているのは、燃料油の抜き取りや船体撤去などの作業です。多くの方々の力をお借りしたからこそ、この事態を乗り越えることができたように思います。
 座礁したチルソン号は、消波ブロックに乗り上げたことにより船底に亀裂が入り、油漏れが発生していました。最近の船であれば、燃料タンクは船底にあっても二重壁で守られており、外殻に亀裂が入ってもすぐに油漏れを起こすことはありませんが、チルソン号は船体の外殻が燃料タンクの外壁も兼ねていたため、船体の亀裂がすぐに油漏れに繋がってしまったのです。
 船体に波が打ち当たることで亀裂が拡大し、油漏れがさらに進むことが予想されたため、燃料タンク内の残存油の抜き取りを急ぎ実施することにしました。応用地質に依頼し、ボーリングマシンを用いて燃料タンクの上面に穴を開け、オイルポンプで残存油を抜き取る方法を取ることになりました。この時点で、すでに船体が傾いている状態であったため、作業は困難を極めました。
 ボーリングロッドの先端に取り付けられたダイヤモンドビットが滑り、なかなか食い付かず、用意したダイヤモンドビットはすべて摩耗し使えなくなってしまいました。時間との勝負でもあったことから、夜中に埼玉県まで器材を取りに行き、戻ってきてから再び作業を繰り返しました。夜明け前には穴を開けることに成功したため、その後は日本サルヴヱージの方々が油の抜き取り作業を実施し、残存油の大部分を回収することができました。
 これらの作業は、燃料油が付着し傾いた甲板上という、非常に足場の悪いなかで日夜行われました。少しも油断できない危険な作業でしたが、怪我人を一人も出すこともなく、無事終えられたのは大変幸運なことだったと思います。ご協力いただいた方々の技術力や、日頃の訓練の成果、規律のすばらしさには深く感服しました。
 翌年度に実施した船体の撤去は、東防波堤の改良工事の中で進めたものです。日立港は、東防波堤背後の泊地の静穏度が十分に確保されていないため、荷役に支障が生じていました。必要な静穏度を確保するためには、東防波堤を嵩上げし、さらに前面の消波ブロックを補充するなどの改良が必要だったのです。
 費用対効果を検証し、十分な効果が認められたことから、東防波堤の改良工事を実施することに決まりました。改良工事を実施するためには、前面に放置されていた座礁船が支障となることから、これを撤去する必要がありました。このため、改良工事の中で座礁船を撤去することになったのです。
 防波堤の前面は砕波帯に位置し、海面下の作業は困難であることから、船体の一部は残さざるを得ませんでした。しかし、消波ブロックを補充することによって残存船体を覆うことになり、結果として船体を安定させることができたのです。そうして座礁船を撤去することができ、日立港の安定的な荷役の改善にもつなげることができました。
 なお、東防波堤の改良区間は、傾斜堤の背後にコンクリートブロックを積み上げた構造でした。嵩上げと合わせて傾斜堤の消波ブロックを補充することで、十分な越波防止効果が得られるのか、当時エコーの顧問であった元運輸省港湾技術研究所の合田良実博士に、間接的ではありますが意見をいただきながら改良工事を実施しました。
 どんな工事においても、専門的な技術や視点を持っている方々のおかげで成し遂げることができたのだと、今でも大変感謝しております。(島津就子)

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