茨城の歴史点描 時代の変革者・徳川斉昭⑫
2021.09.17
茨城の歴史点描
茨城県立歴史館史料学芸部 特任研究員 永井 博
「疫病に挑む②」
安政五年に大流行したコレラ。水戸藩内は井伊直弼との政治的対立に揺れていましたが、一方ではこの疫病に対する対策を講じていました。
具体的には、斉昭が原稿を書いたという「蕃痧病(コレラ)の手当并治方」という冊子が領内に頒布されたといいます。内容を紹介してみましょう。
「近来外国船類渡来するにより、これまで日本に無かった「コレラ、モルヒユス」(一名亜細亜霍乱)という病が、しだいに日本国中に伝染し、老少男女の差別なく、この病を患って急死するもの、数百万人に及んでいる。これまで日本国中になかった病だったので、その名も知られず、俗にコロリ病といわれている。良医や良薬がない片田舎では、治療もなく見殺しになってしまうので、この病に良い処方を記して、万民の助けとするものである。」
というわけで、示された予防法は「呑みすぎ、食べ過ぎ、脂分をとらず、よく動き回り、気楽な生き方をせずに、筋肉を使い消化をよくするように心がけよ。消化しにくい食物をとらない」と基本は体調管理であることを説き、さらに「冷水(一盃)上酢(一匙)砂糖(一匙)をよく混ぜて毎朝飲めばよい」とあります。また、住居を清潔にすることなどもあげています。
これらの実効性は不明ですが、こうした対応策をいち早く出せたのは、前回ご紹介した斉昭の洋学に対する深い学識によるものといえます。
さて、もう一つ当時恐れられていた疫病に「天然痘」があります。これはコロナと同じくウイルスによるもので、飛沫感染が主たるものでした。四〇℃の高熱を発し、体中に発疹が出るという症状を示し、致死率も高いものがありました。運よく治ってもあばたが残るというものでした。
対策として、幕末にはワクチン接種、すなわち「種痘」が導入されていましたが、これも水戸藩はいち早く取り入れています。
これを担ったのは、斉昭に重用され弘道館に設置された医学館で教えた本間玄調で、医学館では毎月一、十五日の二日間接種を行い、それ以外も玄調の自宅で五日おきに接種をしました。水戸から遠方の場合は医師を派遣して接種しましたが、いずれも費用は藩で負担しています。